ラ・サールの与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 20:44 UTC 版)
「ラ・サールの探検」の記事における「ラ・サールの与えた影響」の解説
1689年にスペイン軍がサンルイ砦の跡を発見したことにより、ラ・サールの最後の探検は、ハシナイ族の族長とスペイン人の出会いのきっかけを作った。この族長は自分たちの土地への布教を奨励した。1690年にアロンソ・デ・レオンとダミエン・マシネット神父がクロケットの町の向こうに、サンフランシスコ・デ・ラス・テハス教会を作った。このテハスが英語でテキサスとなり、このテキサス植民地の情報がスペインにもたらされ、スペイン人の入植地となったが、後にテキサスはスペインからの独立を勝ち取り、1813年にテキサス共和国となり、その後米墨戦争を経てアメリカ合衆国に編成されテキサス州となった。それ以前の1762年に、これもラサールが発見したルイジアナがイギリス領アメリカに割譲され、後にアメリカ合衆国の州となった。 1995年、ラ・サールの船であるラ・ベルがマタゴルダ湾で発見され、船体は保存されて、最終的にテキサス州立歴史博物館に展示されることになっている。また、船から見つかった工芸品は現在テキサス中のいくつかの博物館で展示されている。ラ・サールは多くの地名や組織に、その栄誉をたたえて名が冠せられている。ラサールの伝説でより重要なのは、彼が五大湖地方やミシシッピ川流域の知識を広く知らしめたことである。ルイジアナをフランス領としたこともまた、この地域の町の外観や文化的習慣の見地から、大きな意味を持つ。
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