ラジオと中二病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/10 21:47 UTC 版)
小学生時代は自宅マンションの上の階に住んでいた女の子と最も仲が良く、その子からの影響でラジオ番組を日常的に聴くようになった。きっかけとなった番組は文化放送の「古本新之輔 ちゃぱらすかWOO!」で、そのあたりから無意識にアニメソングや声優ソングを中心に聴くようになったという。 中学進学後から漫画に興味を持ち始め、自宅近くの古本屋に通って絶版になった少女漫画をよく読むようになった。好きな作品として「美少女戦士セーラームーン」や「少女革命ウテナ」を挙げており、特に「少女革命ウテナ」は人生における自分の趣味を左右している作品であると述べている。この経緯から当時の将来の夢として「声優」を考えるようになった一方で、2次元の世界のピュアさと現実世界を比較するようになり、「なぜこんな不誠実で綺麗でもない世界で生きていかなければならないのか」「2次元になりたい」という思考に陥るようになったという。これが俗に「中二病」と称されることは後になって気付いたとしており、現実を直視せずに生きている感覚に強い「違和感」を感じていたと述べている。 高校卒業後に働き始めたメイドカフェが閉店し、ディアステージに入店するまで一時期に引きこもり状態になった際にもラジオは聴き続けており、ある日流れてきた坂本真綾の楽曲「指輪」を聴いて感動し泣いてしまったことをきっかけに声優への憧れが再燃する。当時在籍していた服飾の専門学校は、声優の専門学校への進学を親に猛反対されて仕方なく通っていたものであったため、まともに通えていなかった。そこから「声優になれなくとも、アニソンや声優に近い仕事に就きたい」という思いが募り、再び秋葉原を調べて行った結果、ディアステージへの勤務へ繋がることとなった。 これらのラジオ、中二病に関するエピソードは、6thシングル「W.W.D」の歌詞にも取り上げられた。
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