ヨーロッパにおける歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 00:24 UTC 版)
「ムラージュ」の記事における「ヨーロッパにおける歴史」の解説
蝋製の模型の歴史は古いが、蝋製の解剖学的標本を作ったのはズンモ(Gaetano Guilio Zummo 1656-1701 後にズンボと改名)といわれる。彼はナポリの職人であったが、フローレンス、パリと移動、ルイ14世から解剖模型の独占権を得た。その後、何人かの作者がでたが、4000体以上の世界最大のコレクションを有するサン・ルイ病院(Hospital Saint-Louis)のジュール・バレッタ (Jules Baretta 1834-1923)が特に傑出している。彼は2000以上の作品をつくり、レジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ十字章を受賞した。彼は病院の屋根裏部屋に患者を入れ、病変の型をとったが、我慢してもらうために、真心のこもった会話、時にはピアノを弾き、歌をうたったといわれる。彼は自分の発明した釉薬を用いて蝋を何層も重ねたので、人々は透き通った皮膚の下に病変をみたと本当に信じたという。サン・ルイ病院の大きな博物館の集会場の周りの1階、2階にコレクションが並べてある。この病院では1958年までムラージュは作られた。ヨーロッパの各地の皮膚科、日本の医科大学の皮膚科でも戦前においてムラージュは作られている。
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