ヨンジョ:イ・スンジェ-とは? わかりやすく解説

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ヨンジョ(英祖):イ・スンジェ-(大塚周夫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:27 UTC 版)

イ・サン」の記事における「ヨンジョ(英祖):イ・スンジェ-(大塚周夫)」の解説

李氏朝鮮19代国王・粛宗の次男で、第21代国王。サン祖父正室は貞純(チョンスン)王妃(慶州金氏)。歴代朝鮮王朝の中で最も長生きした君主であり、在位期間もおよそ52年と最も長い厳格な性格であるが鋭い洞察力明晰な頭脳を持つ。即位後、66歳の時に当時15歳であった貞純王妃後妻として娶る粛宗王世子であり異母兄でもある、のちの20代国王景宗少論派支持しており、自らは老論派支持され王世弟となる。景宗死去する王位継ぎ李氏朝鮮21代国となった熾烈な党争の中で生命脅威まで感じていた英祖は、朝廷では少論派より老論派重用するようになるが、これが後に自身息子王世子サンの父)を死に追いやることとなる。のちに英祖王世子に「思悼(サド)」と追悼すると共に王世子息子であるサン王世孫冊立する。又のちにはこの一連のことを教訓としてサン代理聴政を行わせ、老論派牽制されることを前もって防止したその後サン代理聴政を見守る傍ら自身継妃である貞純王妃重用している老論派臣下に対しても、陰謀露見した時には必罰信念貫いたが、若くして老王嫁いだ貞純王妃哀れんだため、彼女を死罪とすることはできなかった。また、死の直前密かにソンヨン呼び寄せて自分記憶頼り思悼世子肖像画を描かせ、彼女に生母淑嬪崔氏形見指輪託したその後出来あがった肖像画を見ながら自身の愚を詫びつつ一人涙した晩年には認知症患うようになり、1776年老衰のため83歳で薨去した。

※この「ヨンジョ(英祖):イ・スンジェ-(大塚周夫)」の解説は、「イ・サン」の解説の一部です。
「ヨンジョ(英祖):イ・スンジェ-(大塚周夫)」を含む「イ・サン」の記事については、「イ・サン」の概要を参照ください。

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