ヨンジョ(英祖):イ・スンジェ-(大塚周夫)
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李氏朝鮮第19代国王・粛宗の次男で、第21代国王。サンの祖父。正室は貞純(チョンスン)王妃(慶州金氏)。歴代の朝鮮王朝の中で最も長生きした君主であり、在位期間もおよそ52年と最も長い。厳格な性格であるが鋭い洞察力と明晰な頭脳を持つ。即位後、66歳の時に当時15歳であった貞純王妃を後妻として娶る。粛宗の王世子であり異母兄でもある、のちの20代国王景宗は少論派が支持しており、自らは老論派に支持され王世弟となる。景宗が死去すると王位を継ぎ、李氏朝鮮第21代国王となった。熾烈な党争の中で生命の脅威まで感じていた英祖は、朝廷では少論派より老論派を重用するようになるが、これが後に自身の息子の王世子(サンの父)を死に追いやることとなる。のちに英祖は王世子に「思悼(サド)」と追悼すると共に、王世子の息子であるサンを王世孫に冊立する。又のちにはこの一連のことを教訓としてサンに代理聴政を行わせ、老論派に牽制されることを前もって防止した。その後もサンの代理聴政を見守る傍ら、自身の継妃である貞純王妃や重用している老論派の臣下に対しても、陰謀が露見した時には必罰の信念を貫いたが、若くして老王に嫁いだ貞純王妃を哀れんだため、彼女を死罪とすることはできなかった。また、死の直前、密かにソンヨンを呼び寄せて自分の記憶を頼りに思悼世子の肖像画を描かせ、彼女に生母淑嬪崔氏の形見の指輪を託した。その後、出来あがった肖像画を見ながら自身の愚を詫びつつ一人涙した。晩年には認知症 を患うようになり、1776年に老衰のため83歳で薨去した。
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