ヨンシエブ服属期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 15:10 UTC 版)
北元時代のアスト部にとって大きな転機となったのがベグ・アルスランの登場で、バルス・クル地方より移住してきたベグ・アルスランは、ボルフ・ジノンと組んでオロチュを追放し、アスト部・ハラチン部を自らの支配下に置いた。ベグ・アルスランはアスト部・ハラチン部を含む10のオトクを率い、この集団は後世ヨンシエブ・トゥメンと呼ばれるようになる。ベグ・アルスラン以後、それまでアスト部・ハラチン部指導者が称していた「太師」を名乗り、ヨンシエブの強大な軍事力を背景にカーンを擁立した。しかし、ベグ・アルスランはマンドゥール・ハーンを完全な傀儡とすることができず、1479年に殺されてしまった。 ベグ・アルスランの死後後を継いだイスマイルは、マンドゥールの死後にバト・モンケを擁立したが、バト・モンケの成長後に逆にモンゴル高原から追放されてしまった。ダヤン・ハーンは北元時代に入ってより歴代カーンが傀儡として扱われてきた現状を変えるべく、トゥメト部のホサイ、オルドス部のマンドライ、ヨンシエブ部といった有力者をダラン・テリグンの戦いで撃ち破り、東モンゴリアの大部分を支配下に置いた。ダラン・テリグンの敗戦後、ヨンシエブ部を支配していたイスマイルは西方に逃れたため、遂にアスト部はダヤン・ハーンの配下に入った。
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