ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)の意味・解説 

ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/06 10:28 UTC 版)

ユニチカ・フェニックス
愛称 フェニックス
所属リーグ 日本リーグ
創設年 1949年
解散年 2004年
チーム史
本拠地 京都府宇治市
(解散時)
企業 ユニチカ
優勝歴 8回
テンプレートを表示

ユニチカ・フェニックス(UNITIKA Phoenix)は、かつて存在した女子バスケットボールチームである。

歴史

1949年に大日本紡績(日紡)本店女子バスケットボール同好会として大阪市東区(現・中央区)で創部。全日本実業団で3位に入る。1954年東住吉区(現・平野区)の平野工場に統合され日紡平野に改称。

1956年に監督就任した女子バスケットボール界の名将尾崎正敏の指導により1958年オールジャパンで初優勝。1964年に大日本紡績がニチボーに社名変更したことに伴い、ニチボー平野に変更。1965年からは8連覇を成し遂げるとともに、1967年創設の日本リーグでも第1回での優勝以来7連覇を達成(リーグ連覇記録は1998年シャンソン化粧品が、オールジャパン連覇記録は2021年ENEOSがそれぞれ更新)。その間、1968年まで「国内公式戦171連勝」を記録し、貝塚工場の女子バレーボール部とともにニチボーの名を知らしめることになる。特に1971年日本リーグではベスト5を独占した。国際大会でも1967年より朴正煕杯争奪東南アジア女子バスケットボール選手権大会に単独チームとして出場し、1969年の同大会で優勝した。

1969年にニチボーが日本レイヨンと合併してユニチカが発足すると平野工場は閉鎖され、女子バスケットボール部は三島郡島本町の山崎工場に移転し、ユニチカ山崎に変更。なお、日本レイヨンにも女子バスケットボール部(1956年創部)があったが、こちらはユニチカ宇治となり、ユニチカ山崎とは別のチームとして活動を続けることになった。1975年世界選手権では尾崎監督を始め、ユニチカ山崎の選手が主力として活躍し銀メダル獲得に貢献した。1976年にユニチカ宇治が解散。1977年にユニチカ山崎工場が会社分離により大阪染工となったことに伴い、拠点名を廃してユニチカに変更。

女子日本リーグ7連覇後は日立戸塚第一勧銀が力を付けてきたもののこれらと並んで3強として君臨していた。だが、尾崎が監督を退任して現場を離れると、共同石油、シャンソン化粧品といった新興勢力の台頭にも押され、1980年のオールジャパンを最後にタイトルから遠のく。その後も低迷は続き、遂には実業団リーグ降格となる。

1991年に女子バレーボール部とともに「フェニックス」のチーム愛称を加えてユニチカ・フェニックスに変更。1994年、全日本実業団で優勝。1995-96年には日本リーグ2部を制し、入れ替え戦でも富士通を下し1部復帰を果たす。

1998年、かつてユニチカ宇治が本拠地としていた京都府宇治市に移転。

長引く景気低迷のため1999年のWリーグへのリニューアルを前にしてトップリーグから撤退(翌年には女子バレーボール部が休部となり、東レへ移籍)。以降は京都府の大会に参加し、2000年2001年の2年連続でオールジャパン出場も果たしたが、2004年廃部[1]

獲得した全国タイトル数は計33回で、ENEOSサンフラワーズ(旧共同石油)についで2番目に多い。

過去の成績

旧日本リーグ

年度 リーグ ディビジョン レギュラーシーズン セミファイナル ファイナル 最終結果
順位
1967 日本リーグ 1 7 0 ? ? ? ? ? 優勝
1968 2 7 0 ? ? ? ? ? 優勝
1969 3 7 0 ? ? ? ? ? 優勝
1970 4 10 0 ? ? ? ? ? 優勝
1971 5 10 0 ? ? ? ? ? 優勝
1972 6 8 2 ? ? ? ? ? 優勝
1973 7 9 1 ? ? ? ? ? 優勝
1974 8 8 2 ? ? ? ? ? 準優勝
1975 9 8 2 準優勝
1976 10 6 4 準優勝
1977 11 8 2 優勝
1978 日本リーグ 1部 12 7 3 準優勝
1979 13 7 3 3位
1980 14 6 4 3位
1981 15 4 6 4位
1982 16 4 6 5位
1983 17 1 9 6位
1984 18 9 5 4位
1985 19 6 8 5位
1986 20 6 8 5位
1987 21 2 12 8位
1988 22 7 8 A4位 7位
1989 23 6 9 C5位 12位
1990 2部 24 12 3 準優勝
1991 25 12 3 準優勝
1992 26 2 12 7位
1993 実業団リーグ 26 ? ? 優勝
1994 日本リーグ 2部 28 9 6 3位
1995 29 13 2 優勝
1996 1部 30 9 13 7位
1997 31 5 6 3位
1998 32 3 8 8位

※日本リーグ1部の第22回(1988年)から第23回(1989年)まではA(アンドロメダ)、C(カシオペア)のディビジョン制を導入。

主な歴代所属選手

その他

  • 特に女子においてバスケットボールを始めとする団体球技で使用されている「コートネーム」はユニチカが最初に始めたものである。

脚注

関連項目



このページでは「ウィキペディア」からユニチカ・フェニックス (バスケットボール)を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からユニチカ・フェニックス (バスケットボール)を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からユニチカ・フェニックス (バスケットボール) を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)」の関連用語

ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ユニチカ・フェニックス (バスケットボール)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのユニチカ・フェニックス (バスケットボール) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS