日立戸塚レパードとは? わかりやすく解説

日立戸塚レパード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/30 16:48 UTC 版)

日立戸塚レパード
Hitachi Totsuka Leopard
愛称 レパード
創設年 1960年
解散年 2002年
チーム史
本拠地 神奈川県横浜市
企業 日立製作所
優勝歴 2回(1976-77, 1977-78)
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日立戸塚レパード(ひたちとつかレパード、: Hitachi Totsuka Leopard)は、かつて存在した日本の女子バスケットボールチーム。本拠地は神奈川県横浜市W LEAGUEに所属していた。

歴史

1960年横浜市戸塚区にある日立製作所戸塚工場にて日立戸塚女子バスケットボール部が創部。1967年、同工場のシンボルスポーツとして本格的に強化を開始。

1969年、日本初のプロコーチとして榎本日出夫を迎え[1]、1971年に日本リーグ昇格。その後、1976・77年に日本リーグオールジャパンの連続2冠を達成した。

共同石油(現・ENEOS)・シャンソン化粧品日本リーグに昇格するまではユニチカ第一勧銀とともに日本リーグ女子の3強を形成していた。全日本代表選手も多数輩出しており、1975年世界選手権銀メダルメンバーとして大塚宮子林田和代が所属し、2名ともモントリオール五輪にも出場した。

1999年発足のWリーグにも参戦したが、入れ替え戦候補となるなど成績は伸び悩み、さらに日立本社の経営改革に伴い支援体制が縮小されたため2002年に休部(事実上廃部)。前年には同じく強豪だった女子バレーボールチーム「日立ベルフィーユ」も廃部となり、同社が誇る古豪女子スポーツチームが相次いで消滅した。

なお、戸塚工場には強化指定はされていないが男子バスケットボール部も存在した。

成績

歴代所属選手

脚注

注釈

出典

  1. ^ 榎本 日出夫(えのもと ひでお) 神奈川県バスケットボール協会

関連項目





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