ユダヤ人街区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:07 UTC 版)
詳細は「en:Jewish Quarter (Jerusalem)」を参照 ユダヤ人街区(ヘブライ語: הרובע היהודי, HaRova HaYehudi or the Rova)は、旧市街の南東部に位置している。シオン門からのラインでアルメニア人街区と区切られており、嘆きの壁があり、神殿の丘の西に接している。 この街区は紀元前8世紀以来のユダヤ人たちの断続的な存在によって、実に豊かな歴史的経験を重ねてきた。 1948年にはおよそ2000人いたユダヤ人たちは包囲の上で集団退去を命じられ、歴史あるシナゴーグ群も破壊された。この街区はトランスヨルダンの支配下にあったが、1967年にイスラエル軍の落下傘部隊によって陥落した。その後、シリア人街区の大部分を破壊してユダヤ人街区を拡張し、数百人のシリア系キリスト教徒(アッシリア人)を追放した。 それ以降は再建も進み、2004年には2348人の住民を数えるまでになっており、多くの教育施設も設立されている。 再建される前にはヘブライ大学の考古学者Nahman Avigadの監督下で、発掘調査も行われた。考古学の遺物は一連の博物館に陳列されているほか、現在の市街よりも2、3階分低いところにある野外公園に陳列されており、世界的に見ても屈指のアクセスの容易さを誇る遺跡発掘現場となっている。
※この「ユダヤ人街区」の解説は、「エルサレム旧市街」の解説の一部です。
「ユダヤ人街区」を含む「エルサレム旧市街」の記事については、「エルサレム旧市街」の概要を参照ください。
- ユダヤ人街区のページへのリンク