アルメニア人街区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:07 UTC 版)
「エルサレム旧市街」の記事における「アルメニア人街区」の解説
詳細は「en:Armenian Quarter」を参照 アルメニア人街区は、旧市街の四つの街区の中では最小である。アルメニア人のほとんどはアルメニア使徒教会の+信徒を中心とするキリスト教徒ではあるが、キリスト教徒街区とは区別されている。この街区は面積・人口とも小さなものではあるけれども、アルメニア人とその総主教座は断固として独立を保ち、旧市街の中で力強い存在感を示している。 「聖ヤコブ主教座聖堂」も参照 1948年の第一次中東戦争以降、4つの街区はヨルダンの管轄下に置かれた。ヨルダンの法では、アルメニア人や他のキリスト教徒たちに、キリスト教系の私立学校において、聖書にもクルアーンにも均等な時間を割り当てることを要請し、かつ教会資産の拡大を制限した。 アルメニア人の修道院から2発の不発弾が見つかってからは、1967年の第三次中東戦争は、街区の住民たちから「奇跡」として思い起こされるようになった。 今日、エルサレムには3000人以上のアルメニア人が住んでいるが、そのうち500人が旧市街のアルメニア人街区で暮らしている。中には、神学校で学んだり、教会業務に従事するための一時的な居住者もいる。総主教座はこの街区に領地を持つとともに、西エルサレムなどに高価な財産を所有している。 1967年の第三次中東戦争の後に、イスラエル政府は戦争で損害を受けた教会や神聖視された遺跡の修復のために、その損害がどの陣営によるものかを問わず、修復のための補償を行った。 1975年にアルメニア人街区に神学校が建設された。
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