アルメニア人民兵の国境地帯襲撃
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「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「アルメニア人民兵の国境地帯襲撃」の解説
1990年初頭からアルメニア北東部国境沿いの村バハニス(ロシア語版)はアゼルバイジャン人民兵から継続的な攻撃を受けていたが、それと時を同じくしてアルメニアの民兵組織も国境地帯アゼルバイジャン側のガザフ県とサダラク県(ロシア語版)の村に対して攻撃を行っている。1990年3月26日の朝、アルメニア人民兵らを乗せた数台の車両がバハニスに到着し、その日の夕暮に民兵らは国境を越えてアゼルバイジャン側へ侵入してバガニス・アイルム(ロシア語版)の村を襲撃した。20を超える家屋が放火され、乳幼児を含めた8人から11人のアゼルバイジャン人が殺害されたが、内務省軍が現場に到着した時にはすでに民兵らは逃走した後だった。 それから半年後の8月19日にもアルメニア国軍の部隊がアゼルバイジャン側に対して、目撃者の証言によれば迫撃砲やロケット弾を使用した攻撃を行い、アシャギ・アスキパラ(ロシア語版)とアルメニア領内の飛び地であるユハリ・アスキパラ(ロシア語版)を占領した。この攻撃にはエレヴァンからの援軍も加わっていたが、翌20日の夜までにはソ連軍の攻撃によってアルメニア人らはアゼルバイジャン領内から撤退した。この事件についてソ連内相は、内務省職員1人と警官2人が死亡し、兵士9人と市民13人が負傷したと発表した。一方アルメニア側の報道によれば過激派5人が死亡し25人が負傷したとされ、アゼルバイジャン側の報道では約30人の死者と約百人の負傷者が発生したとされた。
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