ヤンキース (お笑いコンビ)
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ヤンキース | |
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メンバー | セイキ タツヤ |
結成年 | 1984年 |
解散年 | 1990年 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1984年 - 1990年 |
旧コンビ名 | 生野ブラザーズ 生野ヤンキース |
現在の活動状況 | 解散(セイキはピン芸人として活動、タツヤは不祥事により引退) |
芸種 | 漫才 |
受賞歴 | |
今宮子供えびすマンザイ新人コンクール 奨励賞(1986年) ABC漫才・落語新人コンクール 最優秀新人賞(1988年) |
メンバー
略歴
- 1984年、小学校からの同級生だった2人でコンビを結成する。コンビを組みNSC3期生の入学受付に行ったが、入学金を持ち合わてなく入学できなかった。どうしても漫才師になる夢を諦めきれず、2人で吉本の劇場「うめだ花月」に出向いた際に出番表に明石家さんまが出演するのを見て.面識もないまま楽屋まで行き「NSCの面接に行ったんですけど断られました。僕ら吉本に入りたいんですが…」と言うと、さんまから「漫才ネタ書いて1週間後持っておいで」と言われた。2人で猛練習して再び出向いた際にさんまから直々にネタの手直しをされ、そのネタを練習して、吉本興業に入りたいと志願していると、吉本のマネージャー富井善晴から「お前らスーツ持ってるか?」と声を掛けられ、次の日のなんば花月の新人コーナーに「生野ブラザーズ」として出演・初舞台を踏む。コンビ名は「生野ヤンキース」改名した後「ヤンキース」になる。
- その後、漫才を中心に活躍し多数の若手漫才コンテストで賞を受賞しテレビ・ラジオなどに出演していたが、1990年にタツヤの不祥事でコンビ解散。タツヤはその不祥事が原因で芸能界を引退し、セイキは芸名を「セイキ」から「長原成樹」と改名して現在も関西を中心に活躍している。
テレビ
- 笑わなあかん夜(毎日放送/関西ローカル)
- さんまの駐在さん(朝日放送)
- やすしの漫才教室(読売テレビ)
- '88ABC漫才・落語新人コンクール(1988年1月15日、朝日放送/関西ローカル「ABCホリデーワイド」枠)
- 関西テレビ放送開局30周年記念特別番組 MAGMA30「オール吉本紅白対抗トンでも近代五種」(1988年4月16日、関西テレビ)
- 朝まで働け紳助+ダウンタウン(1989年3月25日、毎日放送/関西ローカル)
- 激笑トーク 紳助VS吉本ニューウェイブ(1988年8月26日、毎日放送/関西ローカル)
- 朝日放送創立40周年記念特別番組 ABCまつり'90 番組対抗紅白芸能合戦(1990年12月15日、朝日放送)- セイキのみ出演。
- 『ハイヒールのどんなんかな予備校』チームに参加。
イベント
- 1988年
- 3月『なんば花月下席 ワイドショー』(なんば花月)
…当時の若手漫才師のヤンキース、ミモ・ファルス、ライム・ライト、オールディーズの4組で相方同士を入れ替えて(ミモ・ファルス以外)漫才を披露した。組み合わせは、オールディーズ栩野&ライト坂田、ヤンキースタツヤ&ライム中田、ヤンキースセイキ&オールディーズ木村。
受賞歴
- 1986年 第7回今宮こどもえびす新人漫才コンクール 奨励賞
- 1988年 第9回ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞
「ヤンキース (お笑いコンビ)」の例文・使い方・用例・文例
- ヤンキースが2点リードしている
- ヤンキースは6連敗だ
- 5対3でヤンキースがレッドソックスを下す
- 子どもの頃からヤンキースタジアムのバットボーイになることを夢見ていました。
- ヤンキーススタジアムは私が住む州にある。
- ヤンキースは、名門の強豪チームだ。
- ヤンキースは優勝へ独走態勢を整えている。
- ヤンキースがドジャースを負かした。
- 両チーム連合でニューヨーク・ヤンキースと当たった.
- ヤンキースは 2 アウトでランナー 2, 3 塁だった.
- ヤンキースは、シンシナティに決定的な差をつけた
- そのシーズンの皮切りはヤンキース戦だった
- ニューヨーク・ヤンキースやその他複数の球団が松井選手獲得に乗り出すと考えられている。
- ニューヨーク・ヤンキースがゴジラを獲得
- 日本の強打者,松井秀喜選手が,読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースへ移籍することになった。
- フリーエージェント宣言した松井外野手は,12月19日,ニューヨーク・ヤンキースと合意に達した。
- 松井選手は11月に大リーグに入りたいという意志を表明し,ニューヨーク・ヤンキース,ニューヨーク・メッツ,ボルティモア・オリオールズ,ボストン・レッドソックスなどの球団が彼に興味を示した。
- 松井選手はヤンキースやメッツと交渉し,ヤンキースに入団するという最終決定をした。
- ヤンキースは大リーグ30球団の中でもっとも力のあるチームである。
- なぜ松井選手はヤンキースに入団することを決めたのだろうか。
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