モーグ・シンセサイザーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:10 UTC 版)
「冨田勲」の記事における「モーグ・シンセサイザーとの出会い」の解説
1969年に、大阪万博で東芝IHIパビリオンの音楽を録音するため、大阪に3か月間滞在した。訪れた輸入レコード店で、モーグ・シンセサイザー (MOOG III-C) を全面的に用いて作成されたウォルター・カーロス(現在はウェンディ・カーロス)の『スウィッチト・オン・バッハ (Switched-On Bach)』と出会う。「このアルバムは、せっかくモーグシンセサイザーを使っていながら音色に趣向をこらしていない」というのが正直な感想であったが、シンセサイザーこそ求めていたものだと直感した。 1971年秋頃、モジュラー式のモーグ・シンセサイザー(モーグIII-P 画像)を日本で初めて個人輸入した。非常に高額な楽器であり、金銭面で苦労した。 当時は日本でシンセサイザーがほとんど認知されておらず、楽器として輸入を目論んだが、税関から軍事機器のアナログコンピュータそのものであろうと疑われて「精密機器」として扱われそうになり、楽器であることの証明を求められた。発送元へシンセサイザー演奏写真の送付を依頼するも到着まで相当の日数を費やし、税関で1か月以上保税され、キース・エマーソンの演奏写真を税関へ提出した。 モーグには説明書が付属していなかったので使い方が全く分からずに苦戦し、当初は「高いだけの鉄くずを買ってしまった」と後悔した。その後、自宅にマルチトラックレコーダーも備える「電子音楽スタジオ」を構築し、電子音による管弦楽曲の再現を試行錯誤しながら数々の作品を作曲・編曲した。この時期から映像音楽作品にもシンセサウンドを多く用い始めた。
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