モンクス・ハウスでの生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:50 UTC 版)
「モンクス・ハウス」の記事における「モンクス・ハウスでの生活」の解説
ロッドメル村でウルフが生活し始めた頃、モンクス・ハウスは、果樹園といくつかの別棟を含む4分の3エーカーの庭を備えた控えめな規模だった。生活条件は原始的なもので、何年にもわたって、ウルフは改修と増築を重ねなければならなかった。まず、温水器と水洗トイレ付きのバスルームの設置。さらに、1929年に2階の増築。1928年には、彼らは隣接する畑を購入して、庭からケイバン山に向かう美しい景色を楽しむことができるようになった。 ウルフ夫妻はロッドメル村でますます多くの時間を過ごすようになり、1940年にロンドンのブルームズベリーにあるメックレンバーグスクエアのアパートが空襲で被災したときから、最終的にはロッドメルにフルタイムで住んでいた。村の生活の孤独は、バージニアがロンドンの喧騒から逃れることを可能にした。そして、彼女の小説の多くが形になったのは庭の底にある小さな木造のロッジに於いてだった。1922年に出版された「ジェイコブの部屋」、「ダロウェイ夫人」(1925)、「灯台へ」(1927)、「オーランド」(1928)、「波」(1931)、「歳月」(1937)、「幕間」(1941)、およびその他の作品は、ここで執筆された。 彼女の最後の小説「幕間」は、1941年7月に死後に出版され、ロッドメル村とその村人たちの伝統と価値観に言及している。 バージニア・ウルフは家での彼女の生活を写真で記録している。それらの写真はモンクス・ハウスのアルバムに保存されており、家を訪れた多くの人の肖像画や集合写真が含まれている。 1941年3月、バージニア・ウルフは自殺で亡くなり、近くのウーズ川で溺死しました。レナードは1969年に亡くなるまでモンクス・ハウスに住み続け、村の生活に積極的な役割を果たした。彼とバージニアはどちらも社会党のメンバーであり、1930年代にロッドメル村の学校の校長にもなった。彼はまた、ロッドメル及び地域園芸文化協会の会計および会長も勤めた。
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