モブツの二度目のクーデター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 00:42 UTC 版)
「コンゴ動乱」の記事における「モブツの二度目のクーデター」の解説
1965年3月に実施された総選挙(英語版)ではモイーズ・チョンベが全国的政党に発展させたコンゴ国民公会(英語版)(CONACO)とその同盟政党が大勝した。シンバ反政府勢力の衰退によって傭兵の軍事力を必要としなくなり、次期大統領選挙の最大のライバルとして危険視したカサブブはチョンベを首相から解任した。次いでカサブブは反チョンベの筆頭であるエヴァリスト・キンバ(英語版)を新たな首相に任命したが、チョンベ支持派が多数を占める議会は1965年11月14日にキンバの任命の批准を拒否した。カサブブも譲らずに改めてキンバが新首相であることを宣言し、本格的な政争に発展した。政府機能が麻痺状態になり、11月25日にモブツはまたしても混迷した政治状況を打開することを表向きな理由として二度目の無血クーデターを実行し、完全に権力を掌握した。 モブツは5年間、事実上の非常事態宣言下でほぼ絶対的な権力を行使し、それから後にはコンゴに民主主義が回復されることになるという将来構想を語った。経済的安定と政治的安定の両方を約束したモブツのクーデターはアメリカ及びその他の西側諸国から支持されていた。最初のうちは、彼の統治は幅広い層からの人気を獲得した。彼は1966年に首相職を廃止して翌1967年には議会を解散し、着実にその他の権限を奪取した。
※この「モブツの二度目のクーデター」の解説は、「コンゴ動乱」の解説の一部です。
「モブツの二度目のクーデター」を含む「コンゴ動乱」の記事については、「コンゴ動乱」の概要を参照ください。
- モブツの二度目のクーデターのページへのリンク