モブツ政権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:25 UTC 版)
チェ・ゲバラは1965年に短期間カビラを支援した。ゲバラはキューバ方式の革命を計画し、約100名の手勢を引連れてコンゴに現れた。当時26歳のカビラはゲバラにすると酒と女を欲しがり「時の人物でな」かった。この意見によれば、ゲバラはカビラがこの目的でゲバラ達を支援しており後にそれを宣伝すると思っていた。カビラとゲバラの協力関係は成立せず、革命はその年のうちに弾圧された。 1967年カビラと残った支持者たちは活動の場を南キヴ州のフィジ・バラカの山岳地帯に移し、人民革命党 (PRP) を結成した。中華人民共和国の支援を受けてカビラは毛沢東主義 に傾倒して南キヴに分離独立国家を作った。この小さな社会主義国家では集団農場や強要、鉱物の密輸が行われた。報道によれば地方の軍の司令官はPRPの飛び地を警戒して、強要や強盗による利益の削減と引き換えに軍事物資を取り引きした。1970年代後半と1980年代前半までに、カビラはかなりの富を集めて、ダルエスサラームとカンパラに家を立てた。カンパラでは後の大統領ヨウェリ・ムセベニと会っていたと伝えられている。ムセベニとタンザニア大統領ジュリウス・ニエレレは後にルワンダ大統領となるポール・カガメをカビラに紹介した。これらの接点も第一次コンゴ戦争にルワンダとウガンダが介入する根拠となった。1988年にPRP国家は消滅しカビラも姿を消して、広く死んだと思われていた。
※この「モブツ政権時代」の解説は、「ローラン・カビラ」の解説の一部です。
「モブツ政権時代」を含む「ローラン・カビラ」の記事については、「ローラン・カビラ」の概要を参照ください。
- モブツ政権時代のページへのリンク