モデクゲイの誕生とは? わかりやすく解説

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モデクゲイの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 13:59 UTC 版)

モデクゲイ」の記事における「モデクゲイの誕生」の解説

1914年大正3年)頃、バベルダオブ島ガラルド(現ガラルド州アコール集落長老であったタマダッドという男に神が降りてきたとされる。そのタマダッド仲間呼び仲間の前で一般的なパラオの歌を歌うようになる。これをおよそ2年繰り返していると、タマダッド義弟オゲジという男がこれに加わって歌い始めるようになる。歌を聞いていた周囲の人が、タマダッドオゲジ神事に関することをしているのではないかと噂を始め、いつからかタマダッドオゲジは神の話を始めようになったといわれるその後タマダッドオゲジ死んだ女性生き返らせたという話がパラオ各地伝わった。これがきっかけで、モデクゲイパラオ宗教界一大センセーション巻き起こし病気治してもらおう思った多くの人が二人の下を訪れようになった。彼らを収容するために専用バイ設けられた。 1917年大正6年)、瀕死重病人を二人が看て「起きろ起きろ」と叫び3日目には回復すると言いながら病人そのまま亡くなるという事件が起きる。病人親族は既に二人礼金支払っていたので不満を抱くが、その時日本人の下で働いていたオマンという男がこの話を聞き付けるオマン日頃から病人日本人診療所に行くことを拒んでモデクゲイ治療を受けることに対して快く思っておらず、この事件日本人官憲告訴・告発した。こうして日本当局臨時南洋群島防備隊南洋庁)にもモデクゲイ知られるようになり、度々醜聞起こす一種の「類似宗教(今の用語でいえばカルト)」として、その後取締りを受けるようになっていく。この取締りによってタマダッドオゲジ二人刑務所服役。そして服役終え出所した時、二人前にルグールという男が現れ仲間に加わる。これによってタマダッドオゲジルグール三人モデクゲイ初期における指導者となった三人モデクゲイキリスト教要素取り入れ教会祭壇には十字架立て掛けられた。モデクゲイの神は従来パラオ神々にはなかった金儲けに関する御利益説き食のタブー撤廃求めるなど、革新的な教義パラオ人惹きつけた。

※この「モデクゲイの誕生」の解説は、「モデクゲイ」の解説の一部です。
「モデクゲイの誕生」を含む「モデクゲイ」の記事については、「モデクゲイ」の概要を参照ください。

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