モデクゲイに対する取り締まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 13:59 UTC 版)
「モデクゲイ」の記事における「モデクゲイに対する取り締まり」の解説
1924年(大正13年)、教祖のタマダッドが亡くなり、オゲジが二代目の指導者となった。オゲジはモデクゲイ教団を指導する一方、非常に乱れた性生活を送っていた。オゲジは患者に対し、神のお告げに従って自分とセックスしなければ病気が再発すると脅し、数多くの女性と関係を結んでいた。オゲジは無人島で集会を開いては「誰でもお互いに自分の妻は他人の妻であることを認め合おう」と主張し、夜通し女性と遊んでいた。女性の中には「騙された」と訴えた者もいて、騙された女性の夫が訴えた例もあった。モデクゲイの神には金儲けのご利益があると宣伝されていた影響もあって、この頃になるとモデクゲイを非難する人が現れ出した。信者から返礼を受けるのは当然だがそれが露骨すぎる、とオゲジが非難されることもあった。 これらの被害者の訴えによって、当時の南洋庁警察は、モデクゲイ指導者に対し詐欺罪と姦通罪に該当するとして取り締まりを開始した。モデクゲイは度々摘発され、その都度逮捕者を出した。次第にモデクゲイは反日感情を募らせてゆき、予言やケスケスにも反日的言動を吐露するようになった。オゲジは1941年(昭和16年)にサイパンの刑務所に服役することになった。
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