モチーフとなった場所とは? わかりやすく解説

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モチーフとなった場所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 07:44 UTC 版)

月の沙漠」の記事における「モチーフとなった場所」の解説

月の沙漠」のモチーフとなった砂浜については、以下の2説がある。 千葉県夷隅郡御宿町御宿海岸加藤1923年大正12年)に関東大震災が起こるまでの数年間、毎年夏、結核療養のために御宿海岸訪れていた。 静岡県焼津市(旧大井川町)の吉永海岸加藤出生地である西益津村(現・藤枝市)に近く加藤少年時代によく遊んでいたといわれる藤枝市自体は海に面していない)。加藤まさを長男写真家の嶺夫は、「生まれ故郷静岡県藤枝市。海にも近く、よく浜辺行って泳いだそうです。その記憶ヒントになった、と親類話しており、私もそう信じているんです」と証言している。 このほか鳥取砂丘や、伊豆大島三原山なども候補挙げられことがあるという。 加藤まさを自身は、1969年昭和44年)に御宿町御宿海岸に「月の沙漠記念像」を建てたころから詳細後述)、御宿海岸モチーフだと公言するようになり、1976年昭和51年5月には自らも御宿町移住し、翌1977年同地死去している。加藤は「月の沙漠御宿砂丘」という揮毫(きごう)も書き残している。一方で加藤嶺夫は、「『月の沙漠に関しても、特定の場所などを描いたりはしていないといっていだろう」とし、御宿海岸説は御宿町による観光宣伝だと主張している。嶺夫は、「二十年ほど前のことだったと思うが、まさをの生まれ故郷静岡県藤枝市在住の方が、その件について本人質したところ、「せっかく観光メダマにしてくれているのに反対するほどのこともないでしょ」と笑いながら答えたという」と記している。童謡研究家の上田信道は、この加藤嶺夫の証言紹介した上で、「結局のところ、「月の沙漠」のモデルの地については、この唄の聴き手判断任せしかないでしょう」とコメントしている。

※この「モチーフとなった場所」の解説は、「月の沙漠」の解説の一部です。
「モチーフとなった場所」を含む「月の沙漠」の記事については、「月の沙漠」の概要を参照ください。

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