メジャーシーンからの引退後
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「岩井宏」の記事における「メジャーシーンからの引退後」の解説
メジャーシーンからは引退をしたが、音楽からは足を洗ったわけではなく、その後もオールドタイムの仲間と「シャックリ・ウインド」というバンドを結成し、喫茶店やイベントで演奏したり、1980年には友部正人の自主制作アルバム『なんでもない日には』の制作を手伝った。 1980年代後半には東京の下町から、関西に移り「はっぴっぴー」というバンドに参加をする。 その後も、自ら曲を書き続け、1980年代、1990年代には、ブルーグラス・オールドタイム専門月刊誌にも寄稿するなどバンジョー奏者の草分けとして多くのファンの尊敬を集めた。 意外にも、岩井宏というとバンジョー弾きというイメージであるが、本人は謙虚な性格であった為、メジャーシーンからの引退後は「自分よりバンジョーが巧い」と思ったオールドタイムの仲間にバンジョーを任せて、自らはギブソンのアコースティックギターで演奏することが多く、その傾向は生涯変わらなかった。 また、坂庭省悟が岩井の楽曲「風のない街」を自身のアルバムでカバーをしている。他にも岩井が制作した楽曲で「昼休み」などは何人かのミュージシャンがライブなどでカバーしている。 そして亡くなる約一週間前のライブ(2000年7月16日「オールドタイム・パーティー・イン・コミカ〜井上ケン&一美ファミリー帰国記念ライブ」)でも、ステージに立ち、楽曲を披露している。このステージが生涯最後のステージであった。 2000年7月24日、交通事故で死去。 そして、雑誌ムーンシャイナーの2000年9月号に追悼記事が掲載された。 2004年7月28日、アルバム『30才/岩井宏』がCDとして初の再発売。 2012年10月3日、奇しくも13回忌のこの年に、2004年まで長いことCD化されなかったアルバム『30才』は予想を上回る売り上げであった為、ベルウッド40周年の中で再プレスされ、再再発売された。
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