ミイラ化の手順
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:46 UTC 版)
「グアンチェ族のミイラ」の記事における「ミイラ化の手順」の解説
初期の探検家達はグアンチェ族のミイラ作成法に関して様々な慣習があることを報じていたが、近現代の科学的分析により胴部切開・防腐処理・詰め物の三つの方式があることがつきとめられた。この三つの方式は、ミイラ作成時の時代状況に応じて様々なかたちで併用された。 1876年、グレゴリオ・チル・イ・ナランホ(英語版)はいくつかのミイラから、内臓を除去する目的でつけられたと推定される切開痕を見出した。ドナルド・レジナルド・ブロスウェル(英語版)の1969年の研究により、グアンチェ族の間でこれらの胴部切開技法が行われていたことが証明された。ブロスウェルは他の科学者グループと共に、グアンチェ族のミイラの病理学的検査を行った。この検査により、遺骸はまず腹部および胸部を切開され、それにより生じた空洞にはカナリーマツ(英語版)の樹皮を含む泥様物質が詰められたことが明らかになった。詰め物が筋膜によって包まれている事例も幾つかあったが、それがエンバーミング手順として明確に定められたものであるかどうかは不明である。 1991年、カナダ・モントリオールのマギル大学レッドパス博物館(英語版)にてパトリック・ホルンが行った調査では、腹部空洞の詰め物に蘚類が使用されていたことが判明した。蘚類以外にも、様々な種類の土着植物が詰め物として体内に残されていた。 遺骸のその他の部分の防腐処理は、基本的に樹脂と動物の皮革を組み合わせて包む方法が使われた。この時使用する樹脂には鉱物類・植物類・脂肪分などが加えられており、日光ないし燻煙でもって乾燥処理を行う前に、遺骸全体に塗り広げられた。手順の最後に遺骸は動物の皮革で包まれ、安置場所へ横たえられた。包むのに使用する皮革の数は故人の社会的地位によって異なり、たとえば王の遺骸には15枚の皮が使用された。
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