マーダラーズ・ロウとの対戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:17 UTC 版)
「フレスノ野球団」の記事における「マーダラーズ・ロウとの対戦」の解説
1920年代半ばの大リーグ地方巡業はベーブ・ルースのBustin’ Babesとルー・ゲーリッグのLarrupin’ Lousのニューヨーク・ヤンキース“マーダラーズ・ロウ(殺人打線(英語版))”の対戦が人気ツアーであった。1927年10月20日、彼らがフレズノに興行に訪れ、フレズノ野球団の銭村・ジョニー・ナカガワ(Johnny Nakagawa)・フレッド・ヨシカワ(Fred Yoshikawa)・ハービー・イワタ(Harvey Iwata)がゲーリックのLarrupin’ Lousにゲストとして参加し、ルースのBustin’ Babesとの対戦が実現した。 当時の地元紙によると、観客は5千人。試合はフレスノ野球団が参加したLarrupin’ Lousが13-3で勝利している。銭村健一郎の息子である銭村健三によると、当時の試合のことが語り草として残っている。 試合で安打を放った銭村はルースが守る一塁へ。大胆にリードを取り、けん制球も難なくかわした。2度目のけん制。今度はルースがブロックしてきた。その股の間をすり抜け、またもやセーフに。怒ったルースは「次に同じ事をしたら、おまえさんをつまみ上げてバット替わりに使ってやるぞ」と叫んだ。 アメリカ野球殿堂博物館にはルースとゲーリッグの2人とフレスノ野球団がユニフォーム姿で一緒に写っている写真がある。試合の記念写真は当時日本にも送られ、その裏書きに銭村が「ルースが日本遠征に興味を示している」と記した。この試合がきっかけで日系人が仲介に入った事により、1931年日米野球にて大リーグ選抜戦の再開、そして1934年ルースの来日へと繋がった。
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