小ロシア
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小ロシア(しょうロシア)あるいは小ルーシ(しょうルーシ、ギリシア語: Μικρά Ρωσία[1])は、東欧の地名で、ルーシ人の本土を指す用語であり、ウクライナの旧称の一つである。14世紀にギリシャ正教会[2]の行政概念として登場したものの、17世紀以降にロシア帝国の政治概念に変貌していった。20世紀初頭よりウクライナの蔑称として用いられる。
- ^ ウクライナ語: Мала Русь, Мала Росія, Малоросія / ロシア語: Малая Русь, Малая Россия, Малороссия
- ^ 独立正教会としてのギリシャ正教会の成立は19世紀のことであるが、ここでいう「ギリシャ正教会」とは「ギリシャ人が主体となっていた東ローマ帝国治下の正教会」といった意味であり、こうした広義の語義も「ギリシャ正教会」には含まれる。
- ^ ギリシャ語: Μικρά Ελλάς、ギリシャ人の本土。
- ^ ギリシャ語: Μεγάλη Ελλάς、イタリア南部にあったギリシャ人の植民地。
- ^ 当時のギリシャの語で「ルーシ」は「ロシア」となっており、キエフ大公国が支配した領土を指す用語であった。モスクワ大公国に起源を持つ現在のロシアは「モスコヴィア」 (Μοσχοβία) と呼ばれた。
- ^ 小ロシア府主教区は、ハールィチ府主教区ともよばれ、ハールィチ主教区、ペレームィシェリ主教区、ヴォロディームィル主教区、ホールム主教区、ルーツィク主教区ならびにトゥーリウ主教区という6つの主教区を含んでいた。小ロシア府主教座はハールィチに置かれた。それに対して大ロシア府主教区は、もとのキエフ府主教区を受け継ぎ、キエフ主教区、チェルニーヒウ主教区とペレヤスラウ主教区からなるルーシの本土の主教区と、ノヴホロドと北東ルーシの諸主教区を司った。キエフを中心としたルーシの本土は大ロシア府主教区の支配下にあったが、府主教座はルーシの辺境地のウラジーミルに置かれ、1325年にさらにモスクワへ移された。1340年にハールィチ・ヴォルィーニ大公国の君主朝が滅亡すると、1347年に小ロシア府主教区は廃止され、大ロシア・小ロシアの府主教区は前者のもとでキエフ府主教区として再創されたが、「大ロシア」・「小ロシア」の行政区分は1350年代まで保存された。14世紀半ばにルーシの本土がリトアニア大公国の領土になると、コンスタンディヌーポリ総主教庁に属するリトアニア府主教区の府主教は自ら「キエフ府主教」と名乗るようになり、リトアニア大公国とモスクワ大公国の間の政治的・宗教的争いが激化していった。また、1444年にモスクワ大公国はキエフ府主教の選任をめぐってコンスタンディヌーポリ総主教庁と対立し、1453年に教会の法律を無視してキエフ府主教区をモスクワの独立教会にすると、コンスタンディヌーポリ総主教庁はモスクワの府主教からキエフ府主教の権利を奪い、1458年にリトアニア府主教区を廃止してリトアニア大公国のもとにキエフ府主教区の再編成をおこなった。1461年以降、モスクワに座を持つ旧キエフ府主教は「モスクワならびに全ルーシの府主教」と名乗るようになり、キエフに座を持つの新キエフ府主教は「キエフならびに全ルーシの府主教」と名乗るようになった。
- ^ ユーリイ2世はカトリックから正教へ改宗したマゾヴィアの公であったので、正教との繋がりを強調するために敢えて正教会用語を称号に使用した。
- ^ キエフ地方・チェルニーヒウ地方・ヴォルィーニ地方・ハルィチナー地方・ポリーシャ地方・ミンスク地方・ポロツク地方・ブリャンスク地方・スモレンスク地方。
- ^ ヘーチマン国家の正式な国号は「ザポロージャ・コサック軍」であったが、国家の世俗の住民は自国を「ルーシ」、「ウクライナ」、「ヴクライナ」と呼んだ。そのような国号はウクライナ・コサックの軍歌、ウクライナ人の民謡に見られるが、「小ロシア」のような国号は行政書類・外交文書以外には見られない。「小ロシア」はもっぱら官庁用語であったと考えられる。小ロシア(ウクライナ百科辞典)
- ^ ヨーロッパ主君の称号一覧
- ^ ロシア語: Приказ Малыя Россия。1654年あるいは1663年に設置されたモスクワ大公国の行政機関の一つ。外務省に値する使節団省に属し、ウクライナ・コサックと外交管理およびウクライナの都市の行政監視を司った。1722年に廃止された。
- ^ 1ヘーチマン国家の住民は「ルーシ人」あるいは「コサック」と自称したが、18世紀半ば以降、ロシアの影響でヘーチマン国家の管理人、聖職者と知識人は自民を「小ロシア人」と呼ぶようになった。しかし、「小ロシア人」という民族名は文語用語であったらしく、当時のウクライナの民謡や民間伝承には出てこない。
- ^ Довідник з історії України. За ред. І. Підкови та Р. Шуста. — Київ: Генеза, 1993.
- ^ Маланюк Є. Малоросійство. - 1959.
- ^ Червак Б. Гоголь як дзеркало малоросійства // Українська првада. 01.04.2009ю
- ^ Масенко Л. "Феномен малоросійства: Павло Скоропадський" (з книги "Мова і політика"), 2000.
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