マレトルワの休戦(1343年 - 1345年)
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休戦期間が続いた公式の理由は、平和のための交渉が続けられたためとされたが、実際は両者共に疲弊していたためである。イングランドでは重税が課され、羊毛の取引は政府によって厳しく管理されていた。エドワード3世はこの間に莫大な借金の返済を少しずつ続けていた。 一方、フランスでもフィリップ6世は財政上の困難を感じていた。フランスでは、全国を管理する課税組織が無く、フランス王は個別に地域議会と課税に関して協議しなければならなかった。古くからの封建的慣習により、大部分の地域は休戦中の税の支払いを拒否した。このためフィリップ6世は貨幣の改鋳やその他の悪評を受ける手段を取らなければならなかった。また、フランスの貴族達はフィリップ6世の戦争の仕方に不満を抱いていた。彼らの目からは、エドワード3世の方が正統な王らしく堂々と侵攻し、フィリップ6世は戦闘を避けてばかりに写った。また、彼らの多くは戦争により破産状態にあったが、守りの戦争では略奪品を得られず、戦闘が無ければ身代金を得られないからである。 1343年にオリバー・インガムがイングランドに呼び戻され、代わりにニコラス・ビーチがガスコーニュ代官に任命された。彼は休戦を維持したが、平和を回復することはできなかった。ガスコーニュの豪族達は私戦は古来からの権利だと考えており、フランスの財政が逼迫する中で、戦争の一環として略奪を目的とした襲撃が公然と行われるようになった。最初の略奪団もこの頃に結成されている。これらの集団は名目上イングランドに従っている大規模な兵士の集団で、奇襲により地方の中心の街や城を奪取し、そこを根城に周辺地域の略奪を行い、略奪するものがなくなるとより豊かな地域に移動した。この戦法は、単に略奪した地域を疲弊させただけでなく、略奪を恐れて防衛を強化した地域からの中央政府への税金を滞らせるという効果もあった。
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