マドレーヌ・ド・ドマンドルとは? わかりやすく解説

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マドレーヌ・ド・ドマンドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/21 05:44 UTC 版)

セバスチャン・ミカエリス」の記事における「マドレーヌ・ド・ドマンドル」の解説

1605年マドレーヌ12歳のときにエクサン=プロヴァンス新しく出来たウルスラ女子修道女に入るが、約2年後酷い抑鬱状態になりマルセイユ両親元に送り返された。しかし、家族親交のあったルイ・ゴーフリディー神父との出会いによって快方向かった1606年頃、マドレーヌ14歳になる頃、ドマンドル(またはドマンドワ)家へ足繁く通うゴーフリディー神父34歳)と恋に落ちたという。家族外出中に1時間半亘って2人一緒にいたという噂が流れたウルスラ女子修道院院長カトリーヌ・ド・ゴーメは、ドマンドル夫婦に娘について話した同年、ドマンドル夫人は「司祭は彼女の一番大事な薔薇盗んで行きました」と告白した。(マドレーヌが母に告白したという話もある)カトリーヌ院長はゴーフリディー神父密通の危険を注意した。(17世紀聖職者の間では、不道徳密通)は現代の我々が考える程非道なものと考えられていなかったため、酷聞にはならなかった。) 1607年マドレーヌ修練女として遠隔エクスのある修道院送られた。 1608年から09年、16歳から17歳になっていたマドレーヌはここで重度痙攣を伴う発作起こし悪魔幻覚を見るようになった1609年クリスマス直前懺悔最中に、彼女は十字架打ち砕いていたという(12月24日という話もある)。老ロメロン神父悪魔払いを行うことを決定した成功しなかった。また、マドレーヌ症状は他の3人の修道女にも感染し痙攣し言葉失い嚥下することが出来なくなっていた。 1610年復活祭の日ロメロン神父もう一人神父司祭)が、マドレーヌ症状に対してゴーフリディー神父警告発し同年6月には神父が彼女になにをしたかを審問した。ゴーフリディー神父性的関係否定したが、悪魔払いによって彼は神を否定しマドレーヌ使い魔として「緑の悪魔」を送ったこと、13歳のときに彼女と性交していたことを述べた。(後に9歳のときからだと言ったという)そして神父は「お前が許して呉れたことを楽しませて貰う代わりに、特別の粉から作った飲み物をやろう。これを使えば、お前が産む俺の子供は俺に似ても似付かなくなる。誰も俺が悪さを為ているとは思わないとい訳さ」もっとも、この証言だけでなく、神父マドレーヌ対す証言当時異端裁判に因って言わされたものであり、彼は全くの無実であっただろう。 同年、ロミロン神父マドレーヌ悪魔払い続けたが、後に5人の修道女にも症状感染した。(其の内1人、ルイーズ・カポー(或いはカペル)尼は自分よりも裕福注目浴びているマドレーヌに対して嫉妬が、彼女の悪魔払い微候対抗しようしたもの考えられる

※この「マドレーヌ・ド・ドマンドル」の解説は、「セバスチャン・ミカエリス」の解説の一部です。
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