マオリ族の聖地として(文化遺産)
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「トンガリロ国立公園」の記事における「マオリ族の聖地として(文化遺産)」の解説
ニュージーランド(マオリ語でアオテアロア、Aotearoa)にポリネシア人が定住したのは、およそ1300年ごろとされる。マオリ族の文化は、豊かな口承伝承によって残されており、その口承伝承は、人々とニュージーランドの織り成す風景との間の関係が中心的な役割を果たしてきた。 彼らのカヌー艦隊の中で、最も重要なカヌーがアラワ号(英語版)であり、アラワ号船員の子孫と伝えられるマオリ族の内のンガティ部族である。19世紀、南オーストラリア州総督、2度のニュージーランド総督、ケープ植民地総督を歴任したジョージ・グレイは、以下のマオリ族の伝承を記録している。 ガティ部族の祖先で、アラワ号の航海者にして司祭であったナトロイランギ(英語版)は、探検者でもあった。ベイ・オブ・プレンティに上陸した彼は、北東内陸部へと探検する。ロトルア、タウポ湖へ探検した彼は、タウポ湖の南の対岸に位置するトンガリロ山を見上げ、トンガリロ山登頂を企図した。しかし、トンガリロ山登頂時に、凍死寸前の状況にまで追い込まれた。その時に、ホワイト島に残っていた二人の妹に「火を持ってきてくれ」と頼んだ。その声が南風に乗り、妹のところまで届き、現在の環太平洋火山帯の山々が噴火し、彼のもとに、火が届いた。その結果、彼は一命を取り留めることができた。 この伝承より、マオリ語で冷たい南からの風を意味する「Tonga-riro」が山の名前につけられたのである。 マオリの聖地であるこの国立公園の文化的価値が評価されたことから、1993年に文化遺産登録基準が追加的に適用され、複合遺産となった。世界遺産となった文化的景観の第一号である 。
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