ポール・ランジュバンとは? わかりやすく解説

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ランジュバン【Paul Langevin】


ポール・ランジュバン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 03:56 UTC 版)

ポール・ランジュバン
Paul Langevin
生誕 (1872-01-23) 1872年1月23日
フランスパリ
死没 (1946-12-19) 1946年12月19日(74歳没)
フランスパリ
居住 フランス
国籍 フランス
研究分野 物理学
研究機関 パリ市立工業物理化学高等専門大学
高等師範学校
出身校 ケンブリッジ大学
コレージュ・ド・フランス
パリ大学(ソルボンヌ)
パリ市立工業物理化学高等専門大学
博士課程
指導教員
ピエール・キュリー
ジョゼフ・ジョン・トムソン
ガブリエル・リップマン
博士課程
指導学生
イレーヌ・ジョリオ=キュリー
ルイ・ド・ブロイ
レオン・ブリルアン
主な業績 ランジュバン方程式
ランジュバン関数
双子のパラドックス
主な受賞歴 ヒューズ・メダル (1915)
コプリ・メダル (1940)
王立協会フェロー[1]
プロジェクト:人物伝
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ポール・ランジュヴァンPaul Langevin1872年1月23日1946年12月19日)は、フランス物理学者

生涯

パリに生まれた。物理・化学学校(École de Physique et Chimie)と高等師範学校(École Normale Supérieure)で学んだ後、ケンブリッジ大学に進み、キャヴェンディッシュ研究所ジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ。その後ソルボンヌ大学ピエール・キュリーのもとで1902年に学位を得た。1904年コレージュ・ド・フランスの教授となった。1926年パリ市立工業物理化学高等専門大学の校長になった。1934年科学アカデミーに選ばれた。

常磁性反磁性の研究を行った。原子の電子構造から磁性の起源を説明した。1917年水晶圧電効果を使った水晶振動子を開発し、超音波を初めて発生させることに成功。これを第一次世界大戦中に潜水艦の位置の測定に用いる研究を行ったが、戦争中に実用化することはできなかった。ランジュヴァンは、1922年アインシュタインコレージュ・ド・フランスに招くなどフランスにおいて相対性理論を広めた一人である。また、ソナーの開発者としても知られる。

1910年マリ・キュリーとの恋愛が発覚した(ちなみに、キュリーの孫で物理学者のエレーヌ・ランジュヴァン=ジョリオはランジュヴァンの孫ミシェルと結婚している)。1928年に王立協会の外国人会員となり、同協会から1940年にコプリ・メダルを受賞した。

1934年に左派知識人によって結成された反ファシズム知識人監視委員会の副会長を務めた[2][3][4]。1940年10月30日、反ファシズムの発言のためにゲシュタポに逮捕された[3][5][6]。翌11月に学生の抗議運動が起こり[5]、さらに、ジョルジュ・ポリツェルジャック・ソロモンフランス語版共産党員であった娘エレーヌフランス語版の夫)、ジャック・ドクールフランス語版ら共産党の知識人が『自由大学(l'Université libre)』紙を地下出版し、ランジュヴァンの逮捕に抗議した[6]。38日間にわたってサンテ刑務所に拘留された後に釈放されたが、1942年にジャック・ソロモンがゲシュタポに逮捕されて銃殺刑に処され、次いで娘エレーヌがアウシュヴィッツ強制収容所に送られた(後に生還)[3]。いったんスイス亡命した後、戦後に帰国。1944年から1946年に死去するまで(1898年にドレフュス事件の再審派によって結成された)人権連合の会長を務めた[7]。1946年12月19日、パリにて死去[3]。1948年11月17日にパンテオンに合祀された[3]

業績

出典

  1. ^ Joliot, F. (1951). “Paul Langevin. 1872-1946”. Obituary Notices of Fellows of the Royal Society 7 (20): 405–426. doi:10.1098/rsbm.1951.0009. JSTOR 769027. 
  2. ^ Nicole Racine (2009年5月28日). “GÉRÔME Pierre (pseudonyme de François WALTER)” (フランス語). maitron.fr. Maitron. 2020年7月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e Nicole Racine (2020年6月29日). “LANGEVIN Paul” (フランス語). maitron.fr. Maitron. 2020年7月26日閲覧。
  4. ^ 反ファシスト知識人監視委員会”. コトバンク. 2020年7月26日閲覧。
  5. ^ a b Boris Dänzer-Kantof (2004年). “LA MANIFESTATION DU 8 NOVEMBRE 1940” (フランス語). museedelaresistanceenligne.org. Musée de la résistance en ligne. 2020年7月26日閲覧。
  6. ^ a b L'Université libre : organe des comités universitaires du Front national” (フランス語). Gallica. Bibliothèque nationale de France (1940年11月). 2020年7月26日閲覧。
  7. ^ De 1898 à nos jours” (フランス語). Ligue des droits de l’Homme. 2020年7月26日閲覧。



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