ポルトガル人の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 03:38 UTC 版)
「モザンビーク独立戦争」の記事における「ポルトガル人の処遇」の解説
独立後の政権をとったFRELIMOは共産主義的なイデオロギーを志向した。モザンビークにおけるポルトガル人は、他のアフリカ諸地域における典型的な白人定住者とは異なっていた。多くのアフリカのヨーロッパ人植民地においては1900年代初頭に移住が行われたが、この時期には既に都市部のポルトガル人は自らの支配地域に白人の家族が移住し彼らが利用するための施設を建設し、数世代にわたって定住していたが、旧支配層への報復を恐れ約30万人のポルトガル人・他のアフリカ人および混血を含む市民がレトルナドス(ポルトガル語: Retornados)として知られる難民としてモザンビークを去った。モザンビークに残った白人の中にはモザンビーク民族抵抗運動 (RENAMO) として白人政権であったローデシア、ローデシア政権が倒れジンバブエ共和国が成立して後は南アフリカ共和国からの支援を受けFRELIMOに抵抗し、その後約20年にわたる内戦状態となった。RENAMOはFRELIMOの近代化路線に不満を抱く先住民を味方に引き入れ、内戦は白人対黒人の戦いではなく、「黒人同士の戦い」という形をとるようになった。ただし、南アフリカおよびアメリカ・イギリスの保守政権の支持を受けたRENAMOと周辺のアフリカ諸国と東側諸国の支持を受けたFRELIMOによる内戦は冷戦下の代理戦争としての色彩も帯びていた。
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