ポルトガル人の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 19:09 UTC 版)
ポルトガル人は、1513年にはじめて中国に来航した。1517年には大使に任じられたフェルナン・ピレス・デ・アンドラーデが広州に到着し、広州での貿易が認められたが、正式の国交を結ぶ交渉は難航した。ポルトガル艦隊による示威行動や、ポルトガルの侵略を訴えるマラッカ王国使節の北京到着もあって明のポルトガルへの姿勢は硬化し、1521年にピレスは広州で投獄された。明は「仏朗機(フランキ)夷」としてポルトガルを打ち払うこととした。 ポルトガル人は「タマン」(Tamão. 珠江デルタにある屯門島。比定地については香港島西方のランタオ島など諸説ある)を拠点としたが、明はこれを不法占拠とみなし、1522年に屯門島からポルトガル人を追放した。 ポルトガル人は密貿易に転じ、広東付近の上川島、漳州(福建省)付近の月港(中国語版)、そして双嶼へと進出した。
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