ポリス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:35 UTC 版)
ギリシャ各地にポリスが出現していた時代のものとして、クレタ島ドレロス (Dreros、現在のドリロス、アイオス・ニコラオスとプラカ (Plaka) の中間)からは現存する最古(紀元前7世紀)の成文法が発掘されている。コスモスと呼ばれる高位役職者の連続した就任を禁じ、再任の場合には10年を経ることを定めたものであり、特定の者に権力が集中することを防ぐことを狙ったものとみられる。 クレタ島のポリス時代には、他のギリシャ各地とは異なる点が多々ある。 クレタでは葬制および宗教的慣行について、他のギリシャ各地とは異なり、暗黒時代から前古典期までの連続性がみられる。 祭祀が行われた場所は洞穴や山頂など野外であり、神殿のような建造物が少なかった。このことは神殿をアクロポリスに建設し、これを中心に人々が集まってポリスを形成していった他のギリシャ各地と異なっている。前8世紀末から前7世紀にドレロス、ゴルテュン (Gortyn、プリアニスでも神殿が建てられていくが、他の地域の神殿とは構造上の違いがある。) 中央部ギリシャで考古学上の痕跡としてみられる、前8世紀に起きた社会の再編成が、クレタ島にはそのような現象が起きていない。 クレタ島史の研究に際しては、前6世紀を通じて考古史料が激減しており、前6世紀初頭の解明が重要な課題とされている。南クレタの都市国家ゴルテュンでは都市の法律が誰もが目にする公共広場アゴラのわきにある壁の一面に刻まれていた。このゴルテュン法典はクレタその他の南の島々で使われたドーリア方言で書かれた。壁の碑文は、人が立って読むのにちょうどよい高さ1.5メートルくらいの位置に横幅9メートルにわたって刻まれた。全部で600行からなり、商業や契約に関する法も記されていたが、大半は私法的規定である。
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