ポリスの社会形態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:58 UTC 版)
ポリスの領域は、アクロポリスと呼ばれる丘の頂に作られた城塞を中心に置き、アゴラ(市場・公共広場)、1つ以上の神殿及び体育館を備える必要があった。 ポリスの市民の多くは都市郊外か周辺農村に住んでいた。 ギリシア人は、ポリスを領土の分類とは見なさず、宗教的政治的団体とも見なさなかった。ポリスはその都市自体を超えて領土と植民都市を統御していたのであるから、単なる地理的な領域から成立するものではない。 各都市はいくつかの部族かデモス(区: 胞族と最終的には氏族で順に構成された)から構成された。メトイコイ(在留外国人)と奴隷は、このような組織には入っていなかった。市民権は生まれにより通常決定された。各ポリスは崇拝する守護神、特有の祭儀及び習慣を持っていた。 小アジア以東では、アレクサンドロス大王によるヘレニズム化の主要な装置がポリスであった。彼はギリシア化の影響の中心となるよう運命づけた70を下らない都市を建設したと言われている。そして、これらの大多数が都市生活が知られていなかった土地にあった。彼の例は彼の後継者であるディアドコイによって見習われた。 ポリスはしばしば3種の住民に分割されていた。最初の最高の階級は、参政権を所持している市民である。次に、参政権のない市民、最後に非市民がいた。武具は自費で揃えるため貴族が国防の主力であり、前7世紀までには貴族が政権を握る仕組みが出来上がった。奴隷には借財により市民から転落した人もいた。奴隷制度はアテナイでもっとも発達し、個人所有が普通であった。
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