ペレーの分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:37 UTC 版)
フランシウムは、マルグリット・ペレー (M. Perey) がフランスのパリにあるキュリー研究所において1939年に発見した。彼女が 227Ac のサンプルを精製した際、220 keVの崩壊エネルギーがあることが報告された。しかし、彼女は80 keV以下のエネルギー準位の崩壊素粒子に着目した。彼女は、このサンプルの崩壊は、精製しきれなかった未確認の崩壊生成物に起因するのかもしれないと考えたが、再び純粋な 227Ac を用いて試験を行っても同一の結果となった。様々な試験の結果、この未知の物質がトリウム、ラジウム、鉛、ビスマス、タリウムである可能性が消去された。この新しい生成物は、セシウム塩と共沈するようなアルカリ金属の化学的性質を示し、227Ac のアルファ崩壊によって生成した、原子番号87の元素であるとペレーは信じた。ペレーはその後、227Ac のアルファ崩壊とベータ崩壊の割合の測定を試みた。彼女の初めの試験では、アルファ崩壊への分岐は0.6%であり、その後彼女はその数字を1%に修正した。 ペレーは新しい同位体元素をアクチニウム-K(現在は223Frとして知られる)と命名した。そして、1946年に、彼女は新しく発見された元素の名前を catium とするよう提案した。これは、彼女がこの元素が全ての元素の中で最も電気陽性 (cation) であると考えていたためである。ペレーの監督者の一人であるイレーヌ・ジョリオ=キュリーは、cation よりむしろ cat の含意のためにその名称に反対した。ペレーはその後、フランスにちなんだフランシウムという名前を提案した。フランシウムという名称は1949年に国際純正・応用化学連合によって公式に採用された。フランシウムは初め、元素記号 Fa を割り当てられたが、その後まもなく Fr に修正された。フランシウムは1925年に発見されたレニウムに続いて発見された、自然界で発見された最後の元素であり、その後発見された元素は全て合成されたものである。フランシウムの構造に関する更なる研究は、1970年代から1980年代にかけて、Sylvain Liebermanおよび彼のチームによって欧州原子核研究機構において行われた。
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