ペルーにおける日系人の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 01:48 UTC 版)
「ペルー早稲田大学探検部員殺害事件」の記事における「ペルーにおける日系人の状況」の解説
「日系ペルー人」も参照 日本からペルーに移民が始まったのは、公式には1899年からである。当初は未開の地であったアマゾン地域への入植であったが、より高い収入を求めて次第にリマなどの都市部に流入した。1930年頃のリマ圏の全人口の約5%が日本人移民であった。一部では日本人の商業独占状態が生まれ、これがペルー人との間で摩擦を引き起こした。1930年ごろから激しい排日運動が生じ、1940年にはリマで大規模な排日暴動が発生するに至った。さらに翌年、太平洋戦争が勃発すると、日本との国交を断交。ペルーの日系移民の財産没収が行われ、さらにアメリカの強制収容所へ送られるなど南アメリカの中で、もっとも厳しい敵対政策がとられた。戦後、ブラジルなどでは日本政府が関与する形で、大規模な日本人移民が再開された。しかし、ペルーではそのような形の移民は行わなれなかった。 戦前のペルーの日系移民に対しての厳しい状況を踏まえ、移民二世にあたる世代は、ペルー社会への溶け込みに力を注いだ。地道な地位向上の努力の結果、日系二世であるアルベルト・フジモリが1990年にペルー大統領の職についた。
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