ペルーによる大型船導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 02:15 UTC 版)
「チチカカ湖の船舶」の記事における「ペルーによる大型船導入」の解説
1861年、湖のペルー船の歴史が変わった。ラモン・カスティーリャ(英語版)元帥の政権は、湖で使うペルー海軍用の蒸気船2隻を取得するために、マリアテギ准将をイギリスに派遣した。これらの蒸気船はヤバリ(Yavarí)とヤプラ(Yapura)と名付けられた。錬鉄製船体のこの船は、分解された状態で出荷され、1862年10月にマゼラン海峡を通過した後、アリカ港に到着した。2隻の船は1863年9月に鉄道を使ってタクナに運ばれた。1863年10月、プーノまでのアンデス越えの旅が始まった。最高で標高4,000メートル以上の山道を、総重量210トン以上、2,766個に梱包された船が、ポーターやラバによって運ばれた。彼らは11月18日からプーノに到着し始めた。
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