ベッセマー転炉による鋼の精錬法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 20:59 UTC 版)
「ヘンリー・ベッセマー」の記事における「ベッセマー転炉による鋼の精錬法」の解説
ベッセマーは1850年から1855年にかけて安価な鋼の製造という問題をてがけ、その製法の特許を取得した。1856年8月24日、ベッセマーはチェルトナムの英国科学協会の会合で "The Manufacture of Iron Without Fuel"(燃料のいらない鋼の製造法)と題して発表を行った。その全文は「タイムズ」紙にも掲載された。ベッセマー製鋼法は、融解した銑鉄に空気を吹きつけ、その中の酸素の作用で不純物を焼き払うことで鋼を製造する。 多くの産業は鋼不足のために制限されており、鋳鉄と錬鉄のみを使っていた。例えば鉄道の鉄橋や線路があり、多くの技術者や設計者が鋳鉄のあてにならない性質に悩まされてきた。鋳鉄製の桁が突然壊れて発生した事故は多く、例えば1847年5月のディー橋事故を筆頭に、1860年のブル橋事故、1861年のウートン橋崩壊などがある。1879年にもテイ橋崩壊という悲劇が繰り返され、全ての鋳鉄製鉄橋が鋼鉄製に置き換わるまで類似の事故は続いた。なお、錬鉄製の構造は鋳鉄よりも信頼性が高く、事故もほとんどなかった。 この製鋼法は商業的には既に使われていないが、鋳鉄を広く置換できる量の鋼を安価に製造できるようにしたという点で、産業の発展に極めて重要な意味を持っていた。ベッセマーは銃の製造を改善する試みの中で、製鋼業の問題にひきつけられたのだった。
※この「ベッセマー転炉による鋼の精錬法」の解説は、「ヘンリー・ベッセマー」の解説の一部です。
「ベッセマー転炉による鋼の精錬法」を含む「ヘンリー・ベッセマー」の記事については、「ヘンリー・ベッセマー」の概要を参照ください。
- ベッセマー転炉による鋼の精錬法のページへのリンク