ヘギョングン(恵慶宮)・豊山洪氏:キョン・ミリ-(宮寺智子)
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嬪宮(ピングン)→恵嬪(ヘビン)→正祖が即位後は恵慶宮(ヘギョングン)。思悼の正室で、サンの生母。老論派の陰謀により、刑死となったサドセジャの死後、王の後継となったサンの廃位を企む貞純王妃や老論派などの陰謀に抗することも出来ず、宮中で鬱々と過ごす。サンの即位後、ソンヨンを正祖の側室に入れる意思を孝懿王妃から聞いた時に身分が低い事を理由に激怒するほど身分にこだわった。ただし、単に身分の違いによってソンヨンを嫌っていただけではなく、孝懿王妃の女官であるキム尚宮からソンヨンについて在ること無いこと言い立てられたことでソンヨンに対する悪いイメージが決定的に形成されるに至ったのが実質である。ホン・グギョンの妹・元嬪を側室に迎えるように真っ先に尚且つ、正祖に意見をさせず強引に手配した。しかし、元嬪が嘘を並べたてて保身を図った事を知って失望して見放し、病に倒れた元嬪を見舞いに行こうとした王妃に「罰を受けた者の元に行く必要は無い」と止めたために、後にホン・グギョンと王妃との間に決定的な対立をもたらしてしまった。これがホン・グギョンの失脚の遠因となってしまう。側室としてやってきたソンヨンを当初は邪険にするが、その後の活躍で最終的に彼女を「王族」として認めた。孫となる嫡男文孝世子を「目に入れても痛くない」と溺愛し、はしかによる訃報を聞いて「なぜ私が代わりに死ななかったのだろう」と落胆したほどで、ソンヨンの死に際しては、生前にもっと優しくしなかったことを後悔した。宮中において「英祖との葛藤によりサドセジャは精神を病むようになった」などと記録された自分の一生を書いた自叙伝、『恨中録』(『閑中録』、『泣血録』とも呼ばれる。朝鮮版『蜻蛉日記』と呼ばれる)を著わしている。
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