プライベーターによる活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:48 UTC 版)
「ラリー・モンテカルロ」の記事における「プライベーターによる活躍」の解説
1970年代、この日産の活躍に刺激を受けた日本人ドライバーが次々とラリー・モンテカルロにプライベーターとしてスポット参戦する。 WRC組が混走となる1973年、トヨタ自工の山口義則によるトヨタ・セリカの初参戦を皮切りに、1975年には松波登が猪熊洋文と組み富士重工のスバルレオーネで出場し、1976年には後にWRCのシードドライバーとなった柑本寿一が森川修と組んで日産・サニー1200で出場。翌1977年には柑本は石垣勉と組み日産・サニー1200で総合32位完走。同年、中川一が日産・サニークーペで森川修と組み完走。1979年は同組がマツダ・RX-7でエントリー、クラス優勝する。柑本はその後ブルーバードターボ、シルビア等で5回出場。。森川は押しも押されもしない日本人名コ・ドライバーとなり1990年代後半まで折に触れ出場し、1997年には日下部保雄と組んで英ローバーのワークス・ミニクーパーで当時のアルベール王子杯(Challenge Prince Albert de Monaco)クラスで出場している。 日本人による最多出場は1980年から1991年にかけて、歴代「日産・パルサー」で出場し続けた石川英正の11回となる。また、森川修もWRC6回と後述のヒストリック8回の計14回となっている。 なお、2006年、PWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)では、三菱ランサーエボリューションⅨで出場した奴田原文雄が優勝した。この成績は欧州圏外のドライバーとして初めての優勝であり、その後この記録は破られていない。
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