プライベーターとワークス その時代背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:56 UTC 版)
「片山敬済」の記事における「プライベーターとワークス その時代背景」の解説
片山は、オランダのヤマハ現地法人(NV)と契約するに至ったが、その身分は、以降のミドルクラス、ソノートのクリスチャン・サロン、ベネズモトのカルロス・ラバードと比較してもワークスやセミワークスと呼ぶには余りにも脆弱な体制であり、ヤマハのレース年表にもあくまで「プライベーターとして最後の世界チャンピオン」と記されている。片山の立場はシュバリエやハリスといったコンストラクターのマシンを走らせているレーサーと同じ立場との考えで、普及契約(ヤマハ・モータースポーツ普及課)を断ってヨーロッパに渡った片山の微妙な立場が見て取れる。 250cc・350ccクラスだけ見ても、コーク・バリントンやアントン・マンクが片山のチャンピオン獲得後、ケン鈴木率いるカワサキワークス(KR250・KR350)で圧勝を繰り返す。70年代後半の350ccクラスは、ただ1勝を挙げるだけでも困難だった時代であり、250ccにしてもカワサキワークスが撤退する83年までプライベーターの勝利は遠いものであった。 77年片山のチャンピオン獲得は、以降多くのプライベーターを勇気づけ、「WGPを支えているのはワークスではない。多くのプライベーター達だ」とのヨーロッパ、コンチネンタルサーカスの常識を形成する。
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