ブロードウェイ特急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 10:17 UTC 版)

ブロードウェイ特急(Broadway Limited)は、ペンシルバニア鉄道(Pennsylvania Railroad、略称PRR)がニューヨーク - シカゴ間で運行した旅客列車である。
概要
1902年に「ペンシルバニア・スペシャル」(Pennsylvania Special)として運行を開始し、ニューヨーク・ワシントンD.C.とシカゴの間を結んだ。1912年に「ブロードウェイ特急」(Broadway Limited)に改称された[1]。「ブロードウェイ」の由来はマンハッタンの通りのブロードウェイではなく、PRRの本線の複々線区間が「broad way(広い道)」と通称されており、その区間を通ることによる命名である[2]。
ニューヨークとシカゴの間を結ぶ列車としては、ニューヨーク・セントラル鉄道(NYC)の「20世紀特急」と競合関係にあり、同列車との間でサービス競争が展開されていた[1]。20世紀特急はハドソン川と五大湖に沿った平坦な線区を走るが、ブロードウェイ特急はアパラチア山脈を越える山岳線区を走行した[3]。
1938年、客車が従来の重鋼製客車から軽量客車に更新された。軽量客車のデザインは、電気機関車のGG1形と同じくレイモンド・ローウィによるものである[1]。ローウィのデザインは蒸気機関車でもK4形の流線形化改造車やS1形で採用され、ブロードウェイ特急の牽引機に使用された[4]。
ニューヨークのペンシルベニア駅からハリスバーグまでは電気機関車のGG1形が、その他の区間では蒸気機関車がそれぞれ牽引した[1]。
1971年のアムトラック (Amtrak) 発足後も同社が運行を継続したが、旅客需要の減少により1995年に運行停止となった。
年表
- 1902年: ペンシルバニア・スペシャル(Pennsylvania Special)運行開始。
- 1912年: ブロードウェイ特急(Broadway Limited)に改称。
- 1938年: 重鋼製車両を軽量の流線形車両に更新。
- 1971年: 全米鉄道旅客輸送公社・アムトラック (Amtrak) の発足により、同社が運行を継続。
- 1995年: 運行停止。
編成例
1953年5月23日の編成(ニューヨーク発シカゴ行き・ハリスバーグ到着時)。
使用車両 | 車両愛称・形式 | 車種 |
---|---|---|
PRR4905 | GG1電気機関車 | 電気機関車 |
PRR6518 | ポスタル・カー(郵便車) | |
ATSF | NANKOWEAP | 寝台車(4ダブルベッドルーム・4コンパートメント・2デュリューイングルーム) |
PRR8088 | CASCADE HOLLON | 寝台車(10ルーメット・5ダブルベッドルーム) |
PRR8297 | ZANESSVILLE INN | 寝台車(21ルーメット) |
PRR8363 | CENTER CREEK | 寝台車(12デュープレックスシングルルーム・4ダブルベッドルーム) |
PRR8369 | CHIPPEWA CREEK | 寝台車(12デュープレックスシングルルーム・4ダブルベッドルーム) |
PRR8311 | KASKASKIA RAPIDS | 寝台車(10ルーメット・6ダブルベッドルーム) |
PRR8428 | KASKASKIA RAPIDS | 寝台(3ダブルベッドルーム)・ビュフェラウンジ車 |
PRR4618 | ダイニング | |
PRR4619 | キッチン・ドミトリー車(従業員車) | |
PRR8389 | IMPERIAL FIELDS | 寝台車(4ダブルベッドルーム・4コンパートメント・2デュリューイングルーム) |
PRR8310 | KANKAKEE RAPIDS | 寝台車(10ルーメット・6ダブルベッドルーム) |
PRR8300 | CATAWISSA RAPIDS | 寝台車(10ルーメット・6ダブルベッドルーム) |
PRR8389 | IMPERIAL BENCH | 寝台車(4ダブルベッドルーム・4コンパートメント・2デュリューイングルーム) |
PRR8391 | IMPERIAL LEA | 寝台車(4ダブルベッドルーム・4コンパートメント・2デュリューイングルーム) |
PRR8419 | MOUTAIN VIEW | 寝台(2マスタールーム・1ダブルベッドルーム)・ビュフェ・ラウンジ展望車 |
その他のPRRの主要列車
- スピリット・オブ・セントルイス (ニューヨーク - セントルイス) 全車プルマン寝台
- マンハッタン特急 (ニューヨーク - シカゴ)
- クリーブランダー (ニューヨーク - クリーブランド)
- シンシナティ特急 (ニューヨーク - シンシナティ)
- ペンシルバニア特急 (ニューヨーク - シカゴ)
- ジェネラル (ニューヨーク - シカゴ)
- リバティー特急 (ワシントン - シカゴ)
- アメリカン (ニューヨーク - セントルイス)
- レッド・アロー (ニューヨーク - デトロイト)
- アドミラル (ニューヨーク - シカゴ)
- トレイル・ブレーザー (ニューヨーク - シカゴ) 全車座席列車
- ゴールデン・アロー (ニューヨーク - シカゴ)
- エジソン (ニューヨーク - ワシントン) 全車プルマン寝台
- スピーカー、レジスレーター、ジュディシャリ、ポトマック、レプリゼンタティブ、エグゼクティブ、リージョン、アーリントン、マウント・ヴァーノン、コンスティテューション、コングレッショナル、アンバシー (ニューヨーク - ワシントン) 昼行座席列車、パーラーカー連結
- パトリオット、コロニアル、セネター (ボストン - ワシントン) 昼行座席列車、パーラーカー連結
- フェデラル (ボストン - ワシントン)
脚注
参考文献
- 近藤喜代太郎『アメリカの鉄道史 SLがつくった国』成山堂書店、2007年。
- Robert J, Wayner. Passenger Train Consists 1923-1973 Wayner Publications
- Joe Welsh. Pennsy Streamamliners The Blue Ribbon Fleet Kalmback Publications 1999年 ISBN 0-89024-293-3
外部リンク
- Inside the Broadway Limited promotional booklet published by PRR. (英語)
ブロードウェイ特急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 06:34 UTC 版)
「ペンシルバニア鉄道」の記事における「ブロードウェイ特急」の解説
詳細は「ブロードウェイ特急」を参照 ニューヨーク・セントラル鉄道の20世紀特急に対抗して1912年に登場したニューヨーク - シカゴ間の優等列車。PRRはシカゴとニューヨークという二大都市を持ち、ニューヨーク・セントラル鉄道というライバルがあったことから、優等列車の運行に熱心な鉄道会社であった。19世紀末、ニューヨーク・セントラル鉄道はワグナー・パレスカー・カンパニーという独自の寝台車会社を保有していたため、両者の競争はプルマン社とワグナー社という二大寝台車会社の競争であった。19世紀末には、プルマン寝台車のみで組成された優等列車、ペンシルバニア特急を登場させている。 19世紀末、ワグナー社はプルマン社に吸収され、寝台車に関しては画一化が進んだが、列車速度や総合的な列車のデザインを競いあうようになった。こうした流れの中、生まれた列車がブロードウェイ特急で、食事や理髪のサービス、列車秘書の乗務などで、当時のアメリカの優等列車の中でも最高水準のサービスを提供していた。 「ブロードウェイ」の名称は、ニューヨーク・マンハッタンの劇場街「ブロードウェイ」に因んだものではなく、運転区間が最重要幹線かつ複々線(→"Broad way": 幅広の道、メインストリート)であったことに由来する。 20世紀特急と同様、鉄道の衰退に伴い、サービスの水準は徐々に低下したが、ブロードウェイ特急の名前は永らく残り、1990年代までニューヨーク - シカゴ間を結ぶ列車として運行を続けた。
※この「ブロードウェイ特急」の解説は、「ペンシルバニア鉄道」の解説の一部です。
「ブロードウェイ特急」を含む「ペンシルバニア鉄道」の記事については、「ペンシルバニア鉄道」の概要を参照ください。
- ブロードウェイ特急のページへのリンク