ブルトマン以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:45 UTC 版)
上述のように、ブルトマン以前において「史的イエス」を考察・分析していくうえで最重要視されていたものが、「ナザレのイエス」の言行を収録した『新約聖書』収載の福音書であり、それらを史料として用いていた。したがって、近代以降発展してきたイエスの実像に関する研究は、福音書に対する史料批判にもとづいていることには、特に留意しておかなければならない。 1835年、カール・ラハマン(Karl Lachmann)が、『マタイ』、『マルコ』、『ルカ』の共観福音書のうち、最初に書かれたのは『マルコによる福音書』であるという「マルコ優先説」を提起するや、『マルコ福音書』の分析にもとづけばイエスの歴史的実像にたどり着けるという見方が当時の聖書学者のなかで有力となっていった。ハインリヒ・ホルツマン(Heinrich Holtzmann)はこの学説にもとづき、1886年、福音書は救い主(メシア)であるイエスが自己を啓示する過程を記述したものであるとの見解を発表した。 しかし、この見解はヴィリアム・ヴレーデ(William Wrede)が発表した「メシアの秘密」仮説の提唱によって深刻な打撃をこうむることになる。すなわち、ヴレーデは自著『福音書におけるメシアの秘密』(1901年)において、『マルコ福音書』のなかで、イエスが弟子や人びとに対し自分をメシアであることを言いふらすことを禁じる(秘密にする)命令をしているのは、イエス自身がそもそもメシア(キリスト)としての自覚を持っていなかったためであり、ホルツマンが注目するような記述は当時の教会神学が生みだしたものであると断じたのである。これに対してアルベルト・シュヴァイツァーは1906年から1913年にかけて『イエス伝研究史』を著わし、これまでのイエス研究そのものが研究者の思想的背景の単なる投影に過ぎなかったと主張して、イエスは終末論的世界観のなかに生きていたのであり、メシア(キリスト)としての自覚を持っていたという見解を表明した。
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