フランス、低地諸国およびユーゴスラビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 08:49 UTC 版)
「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事における「フランス、低地諸国およびユーゴスラビア」の解説
ブランデンブルクは「黄の場合(Fall Gelb; 低地諸国および北部フランス侵攻)」作戦において、広範囲に及ぶ活動を行った。攻撃開始二夜前の1940年5月8日、ブランデンブルクは行動を開始した。敵の軍服を自軍のそれの上から着用し(占領後速やかに着替えられるようにするため、および敵の軍服を着ていて敵の捕虜になった場合のスパイとして処刑される危険を回避するため)、小部隊が国境を越えオランダ、ベルギーおよびルクセンブルクへ潜入した。 作戦初日に行った多くの活動の中の一つにオランダのヘネプにあるマース橋の占拠がある。ヴィルヘルム・ヴァルター中尉率いる8名のチームは橋を無傷で手に入れるという任務を与えられた。5月10日午前2時、ヴァルターのチームはオランダ軍警察に変装しドイツ軍捕虜を連行する体を装い襲撃した。2つの監視所を破壊したが、3名が負傷し、チームは身動きがとれなくなった。オランダの制服を着たヴァルターが橋を越え前に進み出たため守備兵は混乱し、チームの残りが負傷者を運び出すのを許してしまい、橋は占拠され、爆破装置も解除された。本作戦の過程で、この様なかたちでさらに多くの場所を占領したが、他の橋に関しては確保に失敗し、ブランデンブルク隊はオランダ軍に捕えられ、スパイとして射殺された。 フランス占領後、ブランデンブルクは(グロースドイッチュラント歩兵連隊(当時)とともに)アシカ作戦の準備のために北フランスに移動した。作戦が中止となった後、大隊は南フランスへ移り、ジブラルタル侵攻計画「フェリックス作戦」のための訓練に入った。 この時、大隊は再び拡大され、第800 特殊任務 教導連隊ブランデンブルク(Lehrregiment Brandenburg z. b. V. 800)となった。規模の増大とともに連隊には沿岸襲撃部隊および熱帯用装備の専門部隊が加わった。 ベニート・ムッソリーニがギリシャ侵攻にしくじると、ヒトラーはソビエト侵攻を後回しにし、ユーゴスラビアおよびギリシャ侵攻作戦(コードネーム「マリタ作戦」)を1941年4月6日に発動した。再びブランデンブルクに役目が与えられ、第3大隊(ズデーテン・ドイツ人およびスラヴ人部隊)から選抜された54名のチームが作戦開始前日にドナウ川流域のオルショヴァ(Orşova)にある重要な造船所を占拠した。
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