ピリン・マケドニアと拡張主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:12 UTC 版)
「ブラゴエヴグラト州」の記事における「ピリン・マケドニアと拡張主義」の解説
「統一マケドニア」も参照 ブラゴエヴグラト州は、歴史的にピリン・マケドニアと呼ばれた地域とほぼ一致している。マケドニアの少数の民族主義者たちは、ピリン・マケドニアを「外国に支配された」マケドニアの本来の領土であるとみなす大マケドニア主義の野望を抱いている。また、おおくのマケドニアのマス・メディアや政治家たちは、歴史的にマケドニアにおけるブルガリア的な要素を否認、あるいは無視するような傾向を持ち(たとえば、オフリドの聖クレメント(en)、ブルガリア皇帝サムイル、ミラディノフ兄弟(en)、内部マケドニア革命組織などがブルガリア人であることを否定し、マケドニア人であるとする)、また、ピリン・マケドニアにおける「マケドニア人の民族性を無視した人権侵害行為」を非難する。 マケドニア民族の人権活動家クリス・ポポフ(Chris Popov)およびマイケル・ラディン(Michael Radin)によると、州内のマケドニア人の本来の人口は20万人であるとしている。人権活動組織ブルガリア・ヘルシンキ委員会の1998年の研究では、自らの民族意識をマケドニア人と規定する住民は15,000人から25,000人程度であるが、より多くのスラヴ人が国家レベルの民族意識としてブルガリア人と自己規定しつつも地域的な意味でマケドニア人であると規定しているとした(。ギリシャのエーゲ・マケドニアの住民と同様)。 地元のマケドニア人の政治活動家ストイコ・ストイコフ(Stoyko Stoykov)によると、マケドニア人の人口は5,000人から10,000人であるとした()。2001年の調査によると州の人口341,173人のうち3,117人は自らの民族意識をマケドニア人であると回答したが、その他の大多数はブルガリア人であると回答した()。最近の調査では回答する市民は選択肢以外の民族名は記述する形式になっており(質問用紙の質問項目の14番)、マケドニア民族活動家らはこれは正確な調査ではないとし、選択肢の中に「マケドニア人」を入れるべきとしている。
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