ビキニ環礁へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:46 UTC 版)
1946年(昭和21年)2月11日、大原艦長(第二復員官)は元空母の特別輸送艦葛城艦長に転任し、酒匂の就役から復員が終了するまで一代限りとなった酒匂艦長の職務を全うした。2月25日、酒匂は特別輸送艦の指定を解除された。その後、核実験(クロスロード作戦)の標的艦として戦艦長門などとともに、横須賀でアメリカ海軍に引き渡された。日本海軍乗員による操縦指導が東京湾で行われたが、意思疎通不足によって主蒸気管が閉鎖されないまま巡航タービンのクラッチが切られた。無負荷となった巡航タービンは規定回転数を超えて暴走し、その轟音を聞いた日本兵とアメリカ兵はあわててタービン室から逃げだして事なきを得た。結果タービン1基が破損し3軸運転となった。操縦指導は20日間に渡って実施された。ビキニ環礁への移動に2名の日本兵の添乗が求められたが、日本兵が断ったためアメリカ海軍兵員によってのみ行われた。後にこの日本兵はビキニについていけばよかったと後悔している。 1946年7月1日 ビキニ環礁で行われたクロスロード作戦にともなう核実験(A-実験 空中爆発)では、酒匂は目標艦ネバダの約500?600m地点に配置されていた。だが爆心地点がずれ、ほぼ上空で原子爆弾が爆発した。その強力な爆風により艦橋より後方の構造物は、前方へなぎ倒された。艦尾部分は24時間近く炎上し、また艦尾にも亀裂が生じて浸水がはじまった。酒匂は7月2日、浅瀬への曳航作業中に左舷へ傾斜し始め艦尾から沈没した。現在は水深60mの海底に沈んでいる。
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