ビキニ水爆実験による被害の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:39 UTC 版)
「西脇安」の記事における「ビキニ水爆実験による被害の調査」の解説
1954年3月1日、アメリカ合衆国がビキニ環礁で行った水爆実験「ブラボー実験」によって放射能汚染が発生した。3月16日、西脇は大阪市からの要請を受けて大阪中央市場においてマグロの放射線量を測定し汚染を確認、その後焼津港に向かい第五福竜丸で船体の線量測定と放射性降下物の採取を行った。放射性降下物の分析は西脇が所属していた大阪市立医科大学の他に、東京大学、静岡大学でも行われた。 西脇はこの事件について、日本国外へ情報を伝達するという点においても重要な役割を果たした。第五福竜丸の測定を終えた翌日である1954年3月17日にはアメリカ原子力委員会宛てに手紙を出した。その後同年7月から11月にかけて欧州各国で講演を行い、10月にBBCラジオで行った講演は世界に向けて発信された。また、8月末にベルギーで開催された第1回放射線生物国際会議でジョセフ・ロートブラットに会った西脇は、放射性降下物の分析結果を伝えた。ロートブラットは放射性降下物にウラン237が大量に含まれていたことから、汚い水爆が使用されたことを見抜いた。ロートブラットからこのことを聞き及んだバートランド・ラッセルは核兵器廃絶を訴える科学者による声明であるラッセル=アインシュタイン宣言を作成し、これが後にパグウォッシュ会議へと発展した。
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