ヒュルス社
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ジョン・ボイド・ダンロップがタイヤに空気を入れてから、世界がポリブタジエンの量産化を企てるようになった。キューガーデンに始まるゴムの歴史は佳境を迎え、そこで活躍したヒュルスは製品のように黒光りする企業であった。ナトリウムを触媒にしてブタジエンを重合させるとポリブタジエンが得られる。その低廉な製法にちなみ、ドイツではポリブタジエンをブナと呼んだ。1935年、IGファルベンが最初のブナ量産化テスト工場をつくった。翌年、ナチス・ドイツが4ヵ年計画を打ち出してブナの生産を煽った。そして1938年5月9日、資本金3000万マルクで、ブナ生産に特化したヒュルスが設立された。持分は74%がIGファルベンで、残り26%がHibernia AG であった。CEO はオットー・アンブローズとヒベリアから来たFriedrich Brüning であった。重役にはフリッツ・メール(ドイツ語版、英語版)とWilhelm Tengelmann がいた。1940年から稼動して、最初の1年で1万8000トンを生産した。資本金も8000万マルクに跳ねた。ブナだけでなく塩素やいくつかの化合物もつくっていた。1941年は4万トンの生産高を記録した。1942年で資本金が1億2000万マルク、生産高は5万トンに達した。
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