ヒュロス3代の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 13:48 UTC 版)
「ヘーラクレイダイ」の記事における「ヒュロス3代の戦い」の解説
その後、ヒュロスは帰還を果たすためにデルポイの神託所に伺いを立てた。すると神託は「3度の収穫の後に帰還すべし」と告げた。このときに問題となったのは3度の収穫の意味するところである。ヒュロスはこれを「3年」と解釈し、3年後に軍を結集してペロポネーソス半島に向かった。一方、ペロポネーソス半島の諸都市もこれに対抗して軍を集め、両軍はコリントス地峡で対峙した。このときヒュロスは戦争をせずに、代表者の一騎討ちで勝敗を決し、もしヘーラクレイダイ側が勝利すればヘーラクレイダイはペロポネーソス半島に帰還して父祖の権利を主張できるが、もし負ければ今後100年間、帰還しないと提案した。そこでペロポネーソス側はアルカディアのテゲアーの王エケモスが志願し、ヘーラクレイダイはヒュロス自らが戦ったが、ヒュロスはエケモスに敗れて殺された。 ちなみに、この出来事の後にトロイア戦争が起きたといわれる。前述のトレーポレモスはロドス島の軍勢を率いてトロイア戦争に参加し、サルペードーンに討たれた。その後、ヒュロスとイオレーの子クレオダイオスはヘーラクレイダイを率いて帰還しようとして果たせなかった。 クレオダイオスの子アリストマコスは帰還を果たすため、再びデルポイに伺いを立てた。すると神託は「狭き場所より帰還すべし」と告げたので、アリストマコスは狭き場所をコリントス地峡のことと解釈し、再びコリントス地峡を通って帰還しようとした。しかしティーサメノスが抵抗し、この戦いでアリストマコスは戦死した。
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