ヒュリエウスの子とは? わかりやすく解説

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ヒュリエウスの子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 09:57 UTC 版)

リュコス」の記事における「ヒュリエウスの子」の解説

このリュコスは、ヒュリエウスニュムペーのクロニエーの子で、ニュクテウス兄弟。あるいはスパルトイクトニオスの子。妻はディルケー一説最初にニュクテウスの娘アンティオペーを妻とし、後にディルケー結婚したリュコスニュクテウスプレギュアース殺したためエウボイア島から逃れてボイオーティアのヒュリアーに住んだが、テーバイ王のペンテウスによってテーバイ迎えられた。その後リュコスは軍の最高指揮者選ばれテーバイラブダコスディオニューソス滅ぼされたときに王位簒奪した。後にニュクテウスの娘アンティオペーゼウスの子を身ごもり、父を恐れて逃げシキュオーンのエポーペウス王と結婚したとき、ニュクテウスリュコスにエポーペウスとアンティオペー罰するよう頼んで自殺した。そこでリュコスシキュオーン攻めてエポーペウスを殺しアンティオペー捕らえたアンティオペー連行され途中密かに双子兄弟ゼートスアムピーオーン出産して捨てたリュコスとその妻ディルケーアンティオペー虐待したが、2人は後に成長したゼートスアムピーオーン殺された。しかしリュコスヘルメース止められ殺されなかったともいわれるパウサニアスによると、リュコスニュクテウスがエポーペウスとの戦い敗れて死ぬと、遺言に従ってラブダコス後見となり、エポーペウスを攻めようとした。しかしエポーペウスも戦いの傷が原因死に新しシキュオーンの王ラーメドーンはアンティオペー引き渡したリュコスラブダコス成長する王権ラブダコス返したが、ラブダコスは幼いラーイオス残して死んだため、再びリュコスラーイオス後見務めた。そしてその頃ゼートスアムピーオーンテーバイ攻撃しリュコス戦い敗れたという。

※この「ヒュリエウスの子」の解説は、「リュコス」の解説の一部です。
「ヒュリエウスの子」を含む「リュコス」の記事については、「リュコス」の概要を参照ください。

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