パーム‐アイランド【Palm Islands】
パーム・アイランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 20:36 UTC 版)


パーム・アイランド(Palm Islands)は、アラブ首長国連邦のドバイ沖合いに造られた人工島群。全てヤシの木(パーム・ツリー)を模しており、この名を冠している。
世界で最も大きな人工島であり、この島によってドバイの海岸線は約520km長くなった。海底トンネルやジュメイラ・モノレール事業など、日本企業の進出も多数報道されている。
地理
観光資源を目的として造られた人工島。最終的には100以上の高級ホテルと1400戸以上の別荘、商業エリアから成る一大リゾート地になる予定である。パーム・アイランドはこれらリゾート地を総称した呼び名で、大きく分けて、Palm Jumeirah、Palm Jebel Ali、Palm Deiraの3つの島から成る。
- パーム・ジュメイラ(Palm Jumeirah)
- 17本の葉にあたる部分と長さ11キロメートルに及ぶ三日月状の防波堤部分からなる人工島。
- ジュメイラ地区の沖合に2001年6月に建設を開始し、2006年から最初の移住が始まった。2008年、高級ホテルのアトランティス・ザ・パームが完成した。
- パーム・ジェベル・アリ(Palm Jebel Ali)
- パーム・ジュメイラから南西に約20kmほど離れたジェベル・アリ地区の西に建設中の人工島。

- デイラ・アイランド(Deira Island)
- 3つの中で最後に完成予定の人工島。ドバイ中心市街地(ドバイ・クリークより北側のデイラ地区)の沖合に建設される。規模は最大のものとなる予定だったが、計画は縮小され、2013年には計画名が「パーム・デイラ」から変更された。

ギャラリー
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パーム・ジュメイラの邸宅街(2007年)
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パーム・ジュメイラの邸宅街(2007年)
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パーム・ジュメイラの空撮、(2007年5月)
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パーム・ジュメイラの空撮、(2007年5月)
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ホテル「アトランティス・ザ・パーム」、(2007年9月)
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パーム・ジュメイラの邸宅街(2008年)
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パーム・ジュメイラのコア部分(2008年)
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3つの地区の空撮(2003年)
関連項目
- 大成建設
- アトランティス・ザ・パーム
- ザ・ワールド
- ザ・ユニバース
- ジュメイラ・アイランズ
- ドバイウォーターフロント
- 倉沢淳美 2011年8月より家族と共に在住。
外部リンク
- パーム・アイランド 公式サイト
- ドバイ首長国経済概況 - 在ドバイ日本国総領事館
パームアイランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:09 UTC 版)
「ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム」の記事における「パームアイランド」の解説
彼は、ドバイの沖合の不動産物件を最大化し、初の人工島のパームアイランドを造設する計画の発表を行った。最も小さい中央の島の最長の前面は海岸から1マイル(約1.6キロメートル)近く離れ、両側に地所を有する。1993年にドバイ初の人工島建設が始まり、有名な7つ星ホテルであるブルジュ ブリ アラブの本拠地となる。人目を引く建造物が周囲の超高層ビルを背景にしてそびえ立ち、その位置の919フィート(約280メートル)は海にでており、すぐ近くのビーチリゾートに影を落とさないように配慮されている。ブルジュ ブリ アラブの沖合のビジネスの成功は、更にもっと壮大な計画の設計の構築に寄与した。国営企業のナキール不動産は、アール・マクトゥームが大部分の株を保有する投資持株会社のドバイワールド(上記ドバイポーツワールドも所有)の傘下企業で、3つのパームアイランドと多数の小島のワールドを開発したが、2009年の世界的な金融危機で中止された。最小規模のパームアイランドのパーム・ジュメイラは完成し、2007年の夏に最初の居住者を受け入れ、英国出身の元サッカー選手のデビッド・ベッカムが小区画の土地を所有している。2008年に高級ホテルのアトランティス・ザ・パームが完成している2番目のアイランドのパームジェベルアリでは埋め立て地は完成したもののそれ以上は開発されなかった。最大規模のパームデイラは規模が縮小され、デイラ・アイランドと名称が変更されて、2013年に干拓が進められ再着手された。
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