パルマのブルボン家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > パルマのブルボン家の意味・解説 

パルマのブルボン(ボルボーネ)家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:45 UTC 版)

ブルボン家」の記事における「パルマブルボン(ボルボーネ)家」の解説

ブルボン=パルマ家」も参照 イタリア北部パルマ公国ファルネーゼ家によって建てられた国であるが、ファルネーゼ家断絶した際に、フェリペ5世王妃エリザベッタ・ファルネーゼ尽力によって息子ドン・カルロスカルロス3世)が公位を継承したその後パルマポーランド継承戦争結果オーストリア・ハプスブルク家に渡るが(ドン・カルロスは代わってナポリシチリア王位に就く)、オーストリア継承戦争講和条約であるアーヘンの和約で再びスペイン・ブルボン家戻りカルロスの弟フィリッポが公位に就いた。このフィリッポ家系ブルボン=パルマ家ボルボーネ=パルマ家)と呼ぶ。 フィリッポ死後息子フェルディナンドが公位を継いだが、パルマナポレオン・ボナパルト征服されフェルディナンド息子ルドヴィーコ新たに建てられエトルリア王国王位就けられた。エトルリア王国ルドヴィーコ息子カルロ・ルドヴィーコの代にフランス併合されカルロ・ルドヴィーコウィーン会議結果ルッカとなったが、ルッカ公国1847年トスカーナ大公国併合されカルロ・ルドヴィーコパルマ公位を得た後に死去したその後パルマ公2代続くが、パルマ公国住民投票によって1860年サルデーニャ王国併合され消滅した因みに最後パルマ公ロベルト1世廃位後24人の子もうけており、10人の男子のうちか今日まで存続している家系もある。その一つは、ルクセンブルク大公シャルロット結婚したフェリックス公子家系である。ルクセンブルク大公家はルクセンブルク家あるいはナッサウヴァイルブルク家の家名用いているが、男系ではブルボン家後裔に当たる。

※この「パルマのブルボン(ボルボーネ)家」の解説は、「ブルボン家」の解説の一部です。
「パルマのブルボン(ボルボーネ)家」を含む「ブルボン家」の記事については、「ブルボン家」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「パルマのブルボン家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

パルマのブルボン家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パルマのブルボン家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのブルボン家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS