バーンズ (護衛空母)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1942年1月19日 |
進水 | 1942年5月2日 |
就役 | 1943年2月20日 |
退役 | 1946年8月29日 |
除籍 | 1959年3月1日 |
その後 | スクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量 | 7,800トン |
全長 | 495.66 ft (151.1 m) |
全幅 | 111.5 ft (34 m) |
吃水 | 26 ft (7.9 m) |
機関 | |
最大速 | 17.6 ノット |
航続距離 | |
乗員 | 士官、兵員890名 |
兵装 | 5インチ砲2門 |
搭載機 | 24 |
バーンズ (USS Barnes, AVG/ACV/CVE-20) は、アメリカ海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の1隻。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴
バーンズは海事委任契約の下ワシントン州タコマのシアトル・タコマ造船所で1942年5月1日に起工した。1942年5月22日にG・L・ハッチンソン夫人によって進水し、1943年2月20日にC・D・グローバー艦長の指揮下就役した。当初は AVG-20(航空機搭載護衛艦)と指定され、1942年8月20日に ACV-20(補助空母)に艦種変更、1943年7月15日に CVE-20(護衛空母)に再変更された。
バーンズは第二次世界大戦を通じて、太平洋の前線部隊に兵員、物資、航空機を運搬した。さらにパイロットの認証訓練に従事した。
これらの任務の間に、1943年11月20日から12月5日までタラワの戦いに参加し、1944年9月6日から10月14日のペリリュー、アンガウルの戦いでは第3艦隊の任務群に対して航空機の供給を行い、1944年10月19日のルソン島攻撃にも参加した。
日本降伏後、バーンズは極東地区に1945年11月3日まで占領任務で留まる。1946年3月に帰国し西海岸に留まった後、ボストンに移動し、1946年8月29日に予備役となる。1955年6月12日に CVHE-20(護衛ヘリ空母)に艦種変更され、1959年3月1日に除籍、廃棄処分となる。
バーンズは第二次世界大戦の戦功で3つの従軍星章を受章した。
関連項目
外部リンク
「バーンズ (護衛空母)」の例文・使い方・用例・文例
- 最初に、医師のベンジャミン・バーンズ氏に聞いてみましょう。
- バーンズ先生、患者の脳がひどく損傷を受けているとき、医師はどうしたらよいのでしょう。
- (ロバート)バーンズ記念館.
- 意義深いエピソードは教訓的な話となることがとても多い−キャスリーン・バーンズ
- 米国の喜劇女優で、支離滅裂だが、彼女の夫ジョージ・バーンズの冷静沈着なパートナーとして知られる(1906年−1964年)
- 彼は生まれたばかりの自分の息子の王位を主張し,正統な王位継承者であるカスピアン王子(ベン・バーンズ)を殺害しようとする。
- 一方,ベテラン機関士のフランク・バーンズ(デンゼル・ワシントン)と若き車掌,ウィル・コルソン(クリス・パイン)は暴走列車と同じ路線で機関車を走らせている。
- 船上でエドマンドとルーシーは昔の友人,カスピアン王(ベン・バーンズ)としゃべるネズミのリーピチープと再会する。
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