バンドの地位確立(1981年 - 1985年)
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1981年、3枚目のアルバム『Breaker(邦題:ブレイカー〜戦慄の掟)』発表時、英国ではNWOBHMのムーブメントが起こっており、それに呼応する形で彼らの存在が認められていった。このころからマネージメントを引き受けるようになったマネージャーのギャビー・ホーク(現在はホフマンの妻でもある)の活躍もあり、バンドはジューダス・プリーストの前座としてワールド・ツアーを行い、ヨーロッパのみならずアメリカでも高い評価を得る。 1982年、フィッシャーの脱退後、ヤン・コウメット~ハーマン・フランクの加入を経て、アルバム『レストレス・アンド・ワイルド』を発表。 1984年、フランクが脱退したのちフィッシャーが再度加入。アルバム『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』を発表し、彼らのスピードメタル、ヘヴィメタルバンドとしての地位が確立される。『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』は商業的にも成功を収め、母国ドイツのアルバム・チャートに初登場を果たして59位を記録。さらにアメリカでも自身初のBillboard 200入りを果たし、74位を記録する。そして、ジューダス・プリースト等と共に、英国ドニントンパークで開催された第5回モンスターズ・オブ・ロックに出演した。 1985年にはアルバム『メタル・ハート』を発表。このアルバムはドイツのアルバム・チャートで13位に達して初のトップ50入りを果たし、スウェーデンでは最高4位という大ヒットを記録した。このアルバム発売の直後に初の日本公演を行う。この模様は当初、愛知県勤労会館での公演を収録した6曲入りのライヴ・アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』として発売され好セールスを記録した。1990年には、1985年に行った大阪公演でのライヴ・アルバムが『ステイング・ア・ライフ』としてリリースされた(ビデオも存在するが、映像は日本公演のものではない)。収録曲の"Princess of the Dawn"では、観客の大合唱にダークシュナイダーが驚いている様子までが収録されている。
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